2019/02/01
ビジネス
年の瀬に帰省していた娘がめずらしく買い物に付き合えと言ってきた。地方に勤務する彼女はこの春に東京に戻ってくる予定で、その準備のためにベッドを買い替えたいという。
必要性を問うてみると、ベッドは中学生の頃に購入したもの、耐用年数はとっくに経過しているはずだ、と彼女は主張する。確かに大学時代も含め自宅には住んでいなかったわけだから、その間に買いかえる必要性を感じなかったということかと納得し、付き合うことにした。
若者に高級なものが必要なはずもない。家具の小売りではN社がダントツなので、そこに行くのかなと思っていた。ところが彼女は専門メーカーであるF社の大規模な展示会が行われていて、招待状が手許にあるのでそちらに行きたいという。小売店ごとに設けられた受付(販売は小売店を経由する)を終えて、体育館のような巨大な展示場に入ってみると、彼女の希望通りに豊富な種類のベッドが展示されている。同時に人もたくさんいる。
ただし朝のオープン間もない会場だから、それらの人はお客さんではない。彼らは小売店の販売員や、F社の販売サポートの人たちだ。入り口に立って、わたしは娘に問うてみた。
「ここから見える範囲で何人ぐらいの販売員さんがいると思う?」彼女は「100人ぐらいかな」という。
100人は大袈裟かも知れないが、それに近い人数の販売部隊が来場者を待ち構えていたのだ。
ほどなく彼女の元に初老の販売員がやってきて、ベッドの選び方や価格帯による品質の違いなどを説明した上で、実際に横になって見ろ、といったアプローチでセールス活動がスタートした。いっぽう会計の段までは無用のわたしは、広い会場をぶらぶら散策したり、時々戻っては彼女の買い物の進捗状況をウォッチしたりしていた。
30分ほど経っただろうか、彼女が購入するベッドを絞り込むと、次に販売員さんはメーカーの販売サポートの人を呼びつけ、在庫や納期等を確認しはじめた。その間に、女性スタッフが飲み物のオーダーを取りに来る。この作業を待っている間に、娘ははじめて私の質問の意図を理解したようで、「このベッドには相当の人件費が乗っかっているのね」とつぶやいた。そして「やっぱりN社で買おうかな」などと言いだした。今さら面倒を被りたくないわたしは「おじさんが一生懸命説明してくれたのだから、ここで買いなさい」とその場は丸く収めたが、社会人2年目の彼女にビジネスの構造をレクチャーすることは必要かなと思った。
製造小売りのN社は、自社で企画・製造を行い、全国数百の店舗に展示品を陳列する。それぞれの店頭には顧客サポートのための人はいても販売員はいない。よって販管費の比率は極めて小さくて済む。いっぽうメーカーのF社は、小売店を通して商品を販売する。メーカーの原価や販管費に適正な利潤を乗せたものが小売店に渡す価格になり、ここから小売店のコスト+小売店の利潤が上乗せされ、これが小売価格となる。もし、圧倒的な数量を専業メーカーであるF社が製造していたのなら、コスト的に競争優位が維持できるのかも知れないが、ベッド専業ではないとはいえその約10倍の売上高を持つN社が製造する数がそれほど劣後しているとも思えない。
日本(もちろん世界も)の小売業の姿は平成の30年という時間軸の中で大きく変化した。ボーダレス経済のもと、品質やコスト面で競争力を持つ最適な産地で大量に製造し、整備された物流網のもとで、自社の圧倒的な店舗網で直接販売するメガ製造小売業が、家具に限らずさまざまな市場で独占的な地位を占めるようになった。また、この時代に普及したインターネットは在庫や店舗網、そして販売員を持たない小売業を生み、こちらにも市場ごとのチャンピオンが生まれることになった。
もちろんF社は今日においても、きちんと売上と利益を確保している立派な企業である。ベッドはどっちで買うべきかという話ではなく、これらは常に変化する経済とそのトレンドを語っているに過ぎないのだが、彼女がその構造を知り、そのようなものの見方をするようになれば、長い社会人としての人生にきっと役に立つだろう。構造を俯瞰しようとするクセをつけ、その力を身につければ、GAFAと呼ばれる企業群が世界を席巻する理由も、日本にユニコーン企業が生まれない理由も、その他今起こっているさまざまな事象も、容易に理解できる話だからだ。
最後にこの展示会では、もう一つ面白い例題があった。どうやらF社は新規参入事業として仏壇の製造を行うようになったらしく、展示会ではそれらの販売も行われていた。家具を製造するノウハウがあり、家具店という販路があれば仏壇もビジネスになるだろうという読みだろう。けれど、わたしは前述のような事業構造(メーカー→小売店→消費者)に切り込まない限り(つまり家具業界におけるN社のような変革をもたらさなければ)厳しい時代を生き残ってきた既存の仏壇メーカーを侵食することは難しいだろうと思った。やるなら構造から変えないと……。
無論、隣の芝生が青く見えるという気持ちはよく理解できるのだが。
株式会社鎌倉新書
代表取締役 清水 祐孝