会長コラム“展望”

有罪か無罪かという話ではなく

2019/03/01

ビジネス


カルロス・ゴーンさんが逮捕されてすでに3ヶ月以上になる。経営危機に陥った日産を復活させた稀代の名経営者が、犯罪者に転落(おっと失礼、まだ確定したわけではない。倫理観の欠如、並み外れた強欲は確定)してしまった経緯には考えさせられることがたくさんある。

もちろん、彼がその立場を利用してやってきたさまざまな行為~例えば会社のお金で故郷に豪邸をつくってみたり、会社とは無関係のお姉さんに報酬を支払わせたり、ルノーの資金を活用してベルサイユ宮殿で結婚式をやってみたり~というようなニュースは大衆のやっかみと怨嗟を掻き立てるにはなかなか良質(?)なネタではある。

だけど、そこには「権力は常に腐敗する」という格言通りの結果に至った、個人に帰する構造的な問題と、ルノーと日産との間の企業統治はどうあるべきかという問題とが別個に存在し、それらが複雑に絡み合っているところに面白みがある。事実と符合しているかは不明だが、想像と私見を膨らませることにしよう。


ゴーンさんは、経営危機に陥っていた日産に資本を投下したルノーからトップとして送り込まれた。当時の報道によると日産は、系列間のしがらみ、なあなあの組織構造、マネジメント層の対立等々のさまざまな課題を抱えていたという。彼は積もり積もった過去の膿を出し切った上で、取引先を集約したり、コミットメントと呼ばれる責任の明確化などの施策をトップダウンで打ち出したりして、会社を瞬く間によみがえらせた。

とまあ最初は良かったのだが、このやり方には大きな弊害がある。強権を持つトップから打ち出された施策に「できませんでした」なんて言うのはご法度だ。そこには絶対的な服従や忠誠が必要不可欠となる。そして、服従や忠誠は忖度(そんたく。安倍さんのお陰で最近流行った)を生み出す。このようにしてリーダーは雲の上の存在になり絶対権力者に成り上がる。

次に権力者に本来であれば必要となるのが、湧き上がる私利私欲を抑える能力だ。もし能力がないのならば仕組みを導入しなくてはならない。なぜなら、権力者はその気になれば公私混同が可能な立場だからだ。ところが、そもそも権力者がなぜそこまで上り詰めたかを考えれば分かることだが、そこには「人並み外れた欲望」が存在している。なので「権力者にすべてを委ねてはいけないよねえ」ってことになる。そのためには権力者が暴走しないルールが必要になってくる。例えば国という単位で考えると、欧米の先進国や日本ではそのルールが一定程度は機能している。けれども、それ以外の国々ではそれが緩かったり、なかったりする。


実際にプーチンさんやエルドアンさん、習近平さんなんかは任期や権限に関わるルールを変更して、長く権力者に留まろうとしたし、マドゥロさんに至ってはルールを無視して権力を保持しようとする。トランプさんも同じことを熱望されているようだが、こちらは適度にルールが機能している国なので難しく、「何とかならんものか」ともがいている。プーチンさんが大泥棒ならゴーンさんはコソ泥みたいなもの、権力者がとる行動はこのようにみんな似たり寄ったりのようだ。


ゴーンさんの失敗は、欲望を抑える仕組みを取り入れなければならなかったけれども、できなかったことにある。あれほどの規模の会社が報酬委員会すら設置していなかったというから、無罪有罪とは別次元の話として、欲望を抑える仕組みを導入できなかったことは大きな反省点として、彼の心に存在しているだろう。


次に企業統治の問題だ。ニュースによれば今回の事件に至った大きな要因は、ゴーンさんの個人的な問題だけではない。それは日産側が親会社ルノーに対して「資本の論理を盾にとって、不平等な関係を結ばされている」という不信や不満が横たわっていること。「デキの悪い親のために、何で子供が苦労をさせられなきゃならないのだ」ってことなのだろう。


もちろん資本の論理が存在しなければ資本主義社会は成立しないわけだが、なるほどこれは程度の問題であって、やはり限度を超えると上手くいかない、ということだろう。働く人のココロ、気持ちがベースとなって仕事が成立し、その集積が事業となり、さらにその集積が業績であると考えれば、スタートラインである働く人の気持ちに対する配慮は必要なはず。それを無視することも可能ではあるが、現実的にはルノーは日産に寄生して生きているわけで、寄生するものがなくなってしまっては元も子もなくなる。どうやらルノーやフランス政府もそのことに気づいたようで、強硬な姿勢を取らなくなってきていることからもそのことは窺える。


人間というものはかくも不完全で、時として欲望には抗えない。だからルールが必要になる。

いっぽうでルールを振りかざせば、それで全てが上手くいくものでもない。

「有罪か無罪か」みたいな報道ばかりが目につくが、そんなことを考える方がよっぽど有益なのではと思ったりする。


株式会社鎌倉新書

代表取締役会長兼社長 清水祐孝