会長コラム“展望”

新聞がなくなる?

2010/06/01

個人的価値観


先般、日本経済新聞の電子版が創刊され、早速初日から利用してみることにした。ちなみに、電子版といってもその中心は新聞購読者に対する サービスで月額一千円が加算されるというもので、電子版だけ読もうとすると結構高額な料金設定になっている。筆者の場合、特に日経はいつも丹念に読んでいて、早朝の楽しみのひとつでもあったから電子版に対する期待感は大きかった。

何しろ新聞が宅配される前から(4時から)読むことができるし、地方や海外に出張に出掛けても、PCとネット環境さえあれば読むことができるからである。ところが、その期待に反してあまり利用しないという状況が続いてい る。もちろん、早朝から起きているときや、出張に出掛けた際にはたいへん重宝しているのだが、手元に紙の新聞のある場合には、やはり慣れ親しんできたほう を選択する。おそらく、PCの小さな画面で新聞1面全体を見ると小さすぎるので、記事ごとにいちいち拡大の操作をしながら見なくてはならないことが面倒な のだろう。また、バックライトで照らされたモニターを見ているよりも、インクで印字された新聞紙の方が目にも優しいのかも知れない。

このような自らの経験に照らし合わせると、新聞紙が消えて無くなり、電子媒体にとって代わるということはなさそうに思っている。

し かし、一定の状況下(早朝や出張先など)では新聞を読むという機能は電子媒体が担っている現実を考えると、新聞紙は無くなることはなくとも、部数が減って いくことは間違いないだろう。実際に、朝日新聞の公表する業績等の概要によると、朝刊の部数は、822万部(平成17年3月期)→813万部(同18 年)→806万部(同19年)→803万部(同20年)→802万部(同21年)と推移しており、減少傾向をたどっている。

ビジネスマンのように新聞のヘビーユーザーはともかく、例えば多くの主婦にとって宅配されてくる朝刊の何にニーズがあるかといえば、それはテレビ欄や社会面であり、そして折り込みチラシであろう。テレビ欄は、デジタル放送の普及によりテレビの画面で見られるようになった。また、yahooなどのインターネットポータルサイトでも配信されている。社会面も同様に、テレビやインターネットからも配信されているし、最近では携帯電話を通してさまざまな事件をタイムリーに得ることもできるようになった。

こう なってくると、大して必要もない。しかも一日経てばゴミになる新聞を数千円支払って読もうという人はまだまだ減ってくると考えざるを得ない。

そしてその影響は後者の折り込みチラシにも大きく影響してくる。

折り込みチラシは、多くの消費者にとってその地域で得られる商品やサービスについてタイムリーな情報を知り得る格好の媒体であった。しかし、このような時代の変化で人びとが新聞を購読しなくなっていくと、当然のことながら、地域における折り込みチラシの部数は減り、地域での折り込みチラシを通した情報の浸透度は下がってくる。そうなれば、折り込みチラシを通して商品やサービスの購買に結びつ けようとする企業も、発行を控えるようになる。

消費者にとって週末近くの新聞は楽しみであった。なぜなら、新聞より分厚い分量のチラシを見ることで、消費の疑似体験ができたのだ。だが、これがだんだん薄くなってくる。言い換えれば、得られる情報量が少なくなってくる。このような状況が続くと消費者 は、折り込みチラシをだんだんと情報を入手する媒体と認識しなくなってくる。わずか数社の企業による、薄っぺらい分量のチラシには魅力がないのである。

企業にとっては、ただでさえチラシによるレスポンス率は下がっていたのに、チラシを発行する企業が減少することで、チラシの情報媒体としての価値が下がり、 さらなるレスポンス率の低下を招くことになる。そうなれば、さらにチラシを発行しようという企業は減るだろう。この負のスパイラルが、これからの折り込みチラシの間違いのない運命なのである。

地域の消費者に情報を伝えるツールとして、多くの企業は折り込みチラシという媒体を活用してきた。そして今日、(一部の通販事業者などを除いて)折り込みチラシの採算性は相当悪いものになっている。この傾向はさらに加速する。ところが、他の集客手法が見いだせない、というのが企業の経営者や担当者の正直な気持ちだろう。

確かに特効薬は無いかも知れないが、さまざまな方法にチャレンジし続けるということ が基本だろう。本命はインターネットだが、地域密着型の企業にとっては完璧なツールとはなりにくい。そこで相対的に重要度を増すのが「看板」だと思ってい る。これについては、私なりに研究し、別の機会に深く掘り下げたいと考えている。


株式会社鎌倉新書

代表取締役社長 清水祐孝