会長コラム“展望”

幸運が成功を生み、成功は義務を生む

2024/07/19

個人的価値観

幸運が成功を生み、成功は義務を生む

トランプ前大統領がペンシルベニア州での演説中に銃撃された事件は報じられた通り。本人は負傷したものの命に別状はなく、代わりに3人が死傷するという痛ましい事件となった。その3週間ほど前に行われたバイデン大統領との討論会を優位に展開し、勢いに乗る中でトランプ氏の政治的野心を葬り去ろうということなのだろうか、銃撃犯の意図は今のところ不明だが、ふつうに考えればそんなところだろう。


たまたま今年の3月の本欄で私は、『熱狂』と『狂気』」(※)というタイトルで、まさにトランプ氏のことを取り上げていた。選挙で勝つためには「常識的」な長ったらしい政治信条の羅列では難しく、「狂気」めいた単純なフレーズの連呼が必要で、これが大衆の「熱狂」を生み出す――といったことを書いていた。

※鎌倉新書公式サイト「会長コラム”展望”」より2024年3月1日『「熱狂」と「狂気」』(https://www.kamakura-net.co.jp/company/vision/10672/)


しかし「熱狂」は高まれば高まるほど、反対勢力の「狂気」を生み出す土壌をつくる。そうしたことが今回の事件を招いたのかどうかはわからない。だが、結果としてその企ては失敗に終わり、予定通りトランプ氏が正式に共和党の大統領候補に選ばれた。選挙結果がどうなるかはまだまだわからないが、むしろ共和党支持者たちの結束は、今回の事件を通して強まっているようだ。


さて、この事件を受けて、いま私にとってとても関心があるテーマがある。それは、このような体験を通して「はたしてトランプ氏に心境の変化が起こるのだろうか?」ということである。銃弾が耳をかすめたということは、数十センチ動いていれば頭に当たっていたかもしれないということであり、別の見方をすれば、「死んでいても不思議はなかった」のであり「運よく生き延びることができた」ということでもある。


もう少し突き詰めれば「何かの力によって自分は生かされている。ならばそのメッセージを真摯に受け止めて、世のため人のために生きていこう」といった考えが芽生える絶好の機会だと思うからだ。私利私欲にまみれた(かどうかはわからないが)人生と決別し、罵詈雑言を慎み、品性を知り、みずからの使命に目覚め、天から与えられた幸運と力を人々のために生かす時が来たのではないかと感じてくれるといいなあ、なんて真面目に思っている。


どうしてこのようなことを思ったかというと、若いころ読んだ『ハーバードからの贈り物』という書物にあった、ジャイ・ジャイクマー教授(当時)のエッセイを思い出したからだ。


登山家であった教授は大学生のころ、ヒマラヤでの登山中に滑落事故に遭い瀕死の重傷を負う。そこで運よく村の女性に発見され、3日間彼女におぶってもらいながら隣村にたどり着いた。さらにそこからロバの背に乗せられて2日間を移動し、最終的に医師のもとにたどり着き、生き永らえるという体験をする。


体の回復は早かったが、あの転落事故のことはいつまでも頭を離れなかった。絶体絶命の危機からまったくの偶然で救い出されたことを考えると、あの山中であれ、それ以外の時であれ、私の人生にとって運というものがどれほど大きな役割を果たしてきたかを考えずにはいられなかった。怪我から回復する間に、私はしみじみ自分の幸福を思い知った。雪庇の崖側に飛びのいたおかげで命が助かったこと。滑落したあとに歩いていった方向が正しかったこと。たまたま行き当たった小屋の住人がこのうえなく親切な人だったこと。そして順調に怪我から回復できたこと。いや、幸運だったのはあの事故とその直後だけではない。思えば人生のごく早い時期から、私はずっと幸運だった。幸せな子ども時代と家庭環境に恵まれ、良い教育を受けられたこと。幸運のおかげで成功を手に入れたものとして、自分はなんらかの責務を果たすべきだ。そう私は思い至った。


このような経験を経て教授は辺境地域にひとつの学校を作り、子どもたちに教育を受けさせる仕組みを作った。そして、アメリカに移りハーバード大学の教授になってからも、みずからの使命としてその活動を続け、多くの学校を建設し、子どもたちに教育の機会を提供するという生涯を送った。


私は登山への情熱からあの山の頂をきわめようとした。けれどもあの転落事故は、私をそれよりはるかに高いところへ導き、私の世界観を形づくってくれた。私が自分の学生たち全員に伝える助言もまた、その産物である。そして、それをあなたたちにも伝えたい。

(略)

あなたたちは、世界のなかで恵まれた位置にいる。熱心な先生や愛情あふれる両親のおかげで“幸運”が与えられたことを、十分認識してほしい。そして何よりも、幸運の女神がこれほど豊かに微笑んでくれたのだから、自分にはそれなりの責任があることを肝に銘じてほしい。

幸運が成功を生み、成功は義務を生む。他の人びとの幸運を作り出すことで、あなた自身が最高の高みへと到達することができるのだ。


若い頃わたしは、これを読んで心の底から感銘を受けた。そしてこの助言をみずからの人生にも適用させることを誓った。いま、どれくらいできているかはわからないが方向性を外してはいないと思うし、これからもそう進んでいくつもりだ。


今回の事件を映像で目の当たりにして、「幸運が成功を生み、成功は義務を生む」というジャイ・ジャイクマー教授のメッセージを思い起こすことができた。へんな話だが自分にとっていい機会であったし、アメリカの大統領候補にとってもいい機会であることを望んでやまない。

※引用はすべて、ディジー・ウェイドマン著『ハーバードからの贈り物(ダイヤモンド社、2013年)より


株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝