会長コラム“展望”

大切なのは、商品の品質表示ではなく店の品質

2011/06/01

ビジネス


仏壇・仏具などを取り扱う宗教用具業界では、消費者への正しい情報開示や、消費者保護の必要性への取り組みが重要との認識から、仏壇公正取引協議会を設置し、公正競争規約を制定しようという動きが精力的に進められている。

消費者にとって仏壇という財は、その価格とその構成要素(素材や加工など)の関係が大変分かりにくいものであるため、その購買に当たっては特に適切な情報が販売者側から消費者に対して提供される必要があるものと考えられる。しかし、 そのような取り組みはこれまで個々の業者に委ねられていて、業界全体として本格的な取り組みを行ったのは今回が初めてだ。その背景には、仏壇の素材や加工、あるいは原産地などについて虚偽の情報を消費者に伝える、いわゆる悪徳商法を行う業者が散見されてきたことがあるが、いずれにせよ消費者にとってより 良い購買環境を提供することは、業界の大きな役割であることは疑う余地はない。

従って、関係者が議論を尽くし、消費者にとって不利益のないような情報開示の基準ができあがることを期待したいと思う。


ただ、素材や加工、あるいは産地についての定義は微妙な問題も孕んでいる。

例えば、ある仏壇が国産か海外産かについての線引きについて考えてみよう。

どこからどこまでの工程を行った仏壇を国産とするかということを決める際に、事業者全員が納得できるポイントを見出すことは難しい。なぜなら、それぞれ立ち位置の違う事業者だからである。例えば、伝統的工芸品を製造する事業者にとっては、国産品をうたうには厳しい制約が課せられるべきだと考えるだろうが、それはその事業者の見解であり、意見である。別の事業者には別の見解や意見が存在する。そのような場合、利害の絡まない第三者のメンバーで決めることが望ましいのだが、それは難しいため、直接の利害関係者が妥協点を見出す作業となる。ここがつらいところだ。

一方、全くの無垢な消費者からすれば、国産と明示してあれば、すべてが国内で作られたものだと普通は考える。「浜名湖産のうなぎ」と言えば、浜名湖で生まれ育ったうなぎだ、というのが消費者感覚である(実際は違うのだが)。そのように、消費者が国産品は100%国内で作られているものであ る、と思っている以上、業界がどこで線引きを決めたとしても、それは消費者にとっての正しい情報ではなく、(統一の基準によって消費者保護を目指すとい う)業界の姿勢を示すものにとどまるわけだ。業界の関係者が正しさの議論ではなく、業界としての姿勢を議論しているという視点に立って消費者に不利益とな らないポイントを見つけていただくことに期待をしたい。


長くなってしまったが本題に移ろう。今回、宗教用具業界が力を合わせて取り組みを行った結果、品質や原産地についてのルールが決まったとしよう。そのことは、あなたの店を救ってくれるか? 答えはNOである。極めて大切なことだから、大書きしておこう。

消費者は品質(産地)表示をしている店だから買うのではない。

その店が安心だから買うのである。

品質(産地)表示は、消費者に店の品質を知ってもらうための構成要素に過ぎない。

以下は、2004年3月号の本稿であるが、このことに対する理解を深めてもらうために再掲した。よく読んで参考にしていただければ幸いである。


今日の消費者が購入するさまざまな商品の多くは、どこで生産(産出・捕獲・採取)されたものなのか、あるいはどのような品質なのかなどの情報が提供されるよ うになっている。このことをトレーサビリティー(traceability)という。

例えば食品がいつ、どこで、どのように作られて、どのような業者を通って売られたのかを記録すれば、食中毒や食品汚染などの問題が起きたときに原因を追跡できるようになる。最近、BSEが問題になっている牛肉や、ウナギ、米の産地を偽った表示が相次ぎ、食べ物に対する信頼が揺らいだことからとみにクローズアップされているようだ。

仏壇や墓石についても最近は産地表示や品質表示を行う店が増えてきたようだ。ただし、単に表示を行えば良いというものではない、そのあたりについて考えてみたい。

一例として肉を買うときのことを考えてみよう。

スーパーに行くと肉はパックに納められ販売されていて、そこには○○産もも肉などと書かれてある。そのほかに与えられる情報はほとんどの場合、グラムあたりの単価と、重量、そしてその商品の金額、加工日、賞味期限程度である。○○産と書いてあるが、それはその肉が生まれた場所なのか、解体された場所なのか、私にはよく分からない。どのような業者を経由してこの店で売られるようになったのかは書いていない。賞味期限が妥当なのかも分からない。

では、もっと詳しい情報を書いてくれれば私たちはもっと安心して買い物をすることが出来るかというと、全くそんなことはな い。

スーパーに行けば肉だけでなく魚や野菜その他多くの商品を購入する。それらの1点1点について詳細な情報を得なければ買い物ができないということになれば、膨大な時間を要するようになってしまう。


このようによく考えてみると、日々私たちは数少ない情報をもとに消費を行っていて、それで満足しているわけである。

それは何故か。

答えはお店に対する信頼感、安心感があるからである。このスーパーで販売された商品が頻繁に食中毒などの問題を起こしていれば、どんなに詳細な品質表示を行っても、私たちはその店から商品を購入することはないだろう。


話を戻そう。小売店にとって品質表示 は行うべきである。

しかしながら、品質表示をすれば消費者からの信頼が得られるかというとそれは本末転倒である。

考えてみて欲しい、消費者が仏壇の芯材がどこ産の何という木で、それにどのような工法が施されていて、どのような塗装で、金箔が何で…などと膨大な量の情報を欲しているだろうか。墓石について、 吸水率が何%で、硬度が何でなどという詳しいデータを消費者が求めているだろうか。私たちがやらなければならないのは、店の信頼感、安心感をつくりあげること、つまり店の品質を知ってもらうことである。それをせずにひとつひとつの商品に詳細な品質表示をしても消費者からの支持を得られることはない。店の信頼感、安心感を消費者に持ってもらえれば、品質については重要な部分のみで十分だし、極端に言えば品質表示など必要がなくなるわけである。

時々、 ライバル店のことを指して「海外製品を国産品として販売している」だとか「ウソの品質表示を行っている」などという話を耳にすることがある。産地や品質を偽り、それが表ざたになることで業界が受けるダメージは計り知れないものがある。

しかし、実際にそのような不当なやり方を防げる手だてはあるのかという と、これは難しい問題だ。

筆者の経験によれば、そのようなウソをつく店はほとんどうまくいかない。それは質の高い消費者を集めることが難しいからである。

言い換えれば、店と顧客のレベルはある程度一致している、これが実際である。

品質表示は店を救ってくれない。消費者が知りたがっているのは商品の詳しい情報ではない。安心できる店か、信頼できる店かについての情報である。他者を非難する前にそのことをもう一度考えてみよう。


株式会社鎌倉新書

代表取締役社長 清水祐孝