会長コラム“展望”

世界とニッポンの黄昏

2010/07/01

社会


欧州の金融不安が起点となって、このところ世界中で株価や為替等が不安定になっている。EUではギリシャからはじまり、ポルトガル、スペインと飛び火して、今度はハンガリーやブルガリアに疑いの目が向けられている。

自由主義経済の下で国家が安定した経済発展していくことが前提だが、何らかの問題(ほとんどの場合それは金融システムの問題であるが)が起こると、影響も大きいから放っておけないとばかりに、世界中どこの国も国家がこのリスクを背負い込む。

前提としては、何年か経って、経済が立ち直り、金融システムが安定化すると、背負い込んだリスクを民間に戻すということなのだが、景気が良くならないと、税収が思ったように上がらず、また財政に対する規律も為政者に乏しいとなると、財政は雪だるま式にどんどん悪化する。これが日本の辿ってきた道だ。

ギリシャの場合は、国家財政の粉飾を行っていたが、だからといって民間企業のように潰して市場から退場させるわけにはいかないし、国家を買収するわけにもいかないから、さらにリスキーな紙切れをECB(欧州中央銀行)が引き受けるという、まさに泥棒に追い銭という始末になっている。

さて、この騒ぎがどこかで沈静化すれば良いのだが、その可能性はきわめて低い。結局のところ、財政の健全化に目処が立たないうちは不安定な状況から脱することは難しいのだろう。そのためEUの各国は競って財政の緊縮化に動いている。例えばギリシャでは、年金の受給年齢の引き上げや公務員の採用の中止、賃金カット、付加価値税(日本の消費税に相当)の引き上げなどが実施されるという。

しかし、緊縮財政策は当然国民の大きな痛みを伴うものだから、単純に考えればそんなことを国民は受け入れてくれるとは考えにくい。従って、緊縮財政策の頓挫→国家のデフォルト→債権国や債権を持つ企業の財政危機という恐怖のスパイラルは専門家でなくても新聞を読んでいれば容易に想像ができるところだ。

このような内外の国家財政の推移を眺めていると、そろそろ資本主義の終わりが近づいているような気になって仕方がないのは筆者だけであろうか。おそらく今後私たちの眼前に繰り広げられるのは、国家財政の健全化競争であり、そこで生き残る国家が世界の中心としての役割を果たしていくようになるのだろう。そのように考えるとやはり中国の時代は間違いのないところなのか。

欧州の金融不安を対岸の火事と考えてはいけない、という論調がテレビや新聞、ブログなどでも最近目立ってきている。何しろ日本の財政は、見方次第ではギリシャ以下とも考えられるわけで、この立て直しを早急に行わない限りは、日本の経済成長率のさらなる低下や、失業率のさらなる上昇、企業の国外流出、そして最終的には財政の破綻は避けられなくなるのではないか、というのが多くの識者の共通認識だ。

前回の衆院選で民主党は夢のような美味しい話を国民に語りかけ、政権を自民党から奪取した。子ども手当を出しましょう。高速道路も無料にしましょう。公立高校も無償化しましょう。 ガソリン税などの暫定税率も廃止しましょう。そして、その財源は皆さんに増税で負担させるのではなく、これまでの税金のムダ使いから捻出します、とまあこ んな感じだ。結果はどうであったかは皆さん周知の通り。大盤振る舞いをするほどの財源なんてなかったのだ。しかし、マニュフェストに縛られ、大盤振る舞い ならぬ小盤振る舞いをせっせとはじめだし、財政赤字は加速度的にその危険度を増している。子どものためにと言いながら、子どものことなんてこの政党は全く考えていないのである。

このような政権与党の体たらくを目の当たりにして、まもなく行われる参院選で私たち国民はどの政党に投票すればよいのだろう。仮に国民の多くが民主党にノーと言ったところで、衆参がねじれ民主党中心の連立政権になるだけで、少数与党に引きずられ、有効な政策は期待できなくなってしまうだけだ。ということで、今いちど民主党にチャンスを与え、まともな政策の履行にわずかな期待をするしかない、というのが多くの国民の意識 だろう。

しかし本来であれば、大嘘をついた政権与党のトップはその時点で、いったん国民の審判を仰ぐべきなのだろう。彼らはまさに居直り強盗である。


株式会社鎌倉新書

代表取締役社長 清水祐孝