2015/03/27
個人的価値観
もともとわたしはお酒が強いほうではないのだが、飲みに行く機会はけっこうある。若いうちから、仕事でいろいろな人と会う機会が多かったせいもあるだろう。そして好んで飲むお酒の種類も特定のものはなく、場所やメンバーによって何でもウェルカムである。また、飲むのは好きだが、お酒に詳しいかと言えば全くそうではない。銘柄を覚えることもほとんどなければ、それが美味しいかどうかにも無頓着である。それは適切な味を求めているのではなく、適切や酔いを求めているからであろう。そんな調子だから、洒落た洋食の店でワインのリストなどを目の前に突き付けられるといつも困惑する。銘柄もわからなければ、格別の好みの味もないからだ。
金色のバッジを着けたソムリエの説明なども、聞いたフリをするだけで全く耳に入っておらず、関心はもっぱら銘柄の右側に書かれた価格にある。恥をかかない程度の価格で、聞いたことのあるような名前〜それがブドウの種類なのか、産地の村の名前なのかは知らないが〜が書かれてあれば、それがわたしの好みのワインなのだ。
先日も知人と飲んでいてそんな話をしていたら、vinicaなるスマホアプリがあることを教えてもらった。アプリを立ち上げ、飲んでいるワインのラベルをスマホのカメラで撮ると、そのワインの詳細な特徴がわかるばかりか、飲んだ人の評価、さらにはネット上で売られているサイトまで導いてくれる。お店で買うといくらかがバレてしまう上に、ソムリエの存在意義を失わせる破壊的なアプリである。
そういえば以前、芸能人が目隠しをしてワインを飲み比べるという番組が放映されていた。百万円の有名なワインと数千円のワインを飲み比べて、どちらが高価なワインであるかを当てるものだが、半数の出演者は間違ったほうを選んでしまう。きっとわたしも間違いグループに分類されるのだろうが、逆に言えば多くの人にとっては数百倍という価格の違いを見出せるほどの価値をその味だけからは提供していないということでもある(もっとも生産者もすべての人にわかってもらおうなどとは思っていないだろうが)。
ロマネ・コンティというラベルが貼ってあるボトルから注がれたワインを飲むと、多くの人が「美味しい!」と感激するが、それはロマネ・コンティが世界最高のワインだという情報を持っているからで、そのような情報を持っていない人には、単なる「まあまあ美味しいワイン」だろう。つまり、ロマネ・コンティが成立するには製品だけではなく、ラベル、そしてその評判を担保する権威(ソムリエ)が必須なのである。
わたしたちが暮らす社会には、さまざまな領域や分野が存在していて、一人ひとりはそれぞれについての見識や見解を有しているわけではない。当たり前である、そんなことをすれば、時間がいくらあっても足りなくなるからだ。そこで専門外のことは、他人がつくったおそらくは信頼に足ると考える見解を借用して済ませる。このような多くの人が信じる意見や見解の集積を「ラベル」「信用」「のれん」「ブランド」などという。これらは、私たちが短い時間の中で適切な選択をするうえで必要な知恵なのだ。
東京大学卒業という学歴には、ロマネ・コンティと同様に最高の人材輩出機関というラベルが貼られている。新卒の東大生も就職活動においてそのラベルの効果を享受する。しかし実態は、その4年ほど前に行われた数日間のテストでの得点上位者の集合体である。得点上位者=最高の人材とは必ずしもならないはずだが、一人ひとりの真贋をゼロベースから見極めるのは大変だから、時間や労力を節約するためにそのラベルを利用する。
ハーバード、グーグル、ゴールドマン・サックス、フェラーリ、エルメス、これらは世界最高のラベルである。企業も個人も良いラベルを貼ってもらうことは大切なことである。それは、自らが優位性を確保するだけではなく、ラベルを貼られた人や企業がその期待に応えようと努力して、本当にラベル通りになっていくという効果もあるのだから。
株式会社 鎌倉新書
代表取締役社長 清水 祐孝