会長コラム“展望”

がまんとチャンス

2022/08/01

個人的価値観

がまんとチャンス

インターネットが普及してきた1900年代の終わりから2000年台の初頭ごろは、これを活用した事業ができないものかと模索をしていた時期だった。そのために同じようなことを考える経営者の集う勉強会に参加したり、海外の事情を見聞きしていたりした。当時、私たちの会社は出版事業を生業としていたけれども、インターネットが普及すれば情報伝達の主流は出版ではなくなるのではないかという気がしていたし、何より新たな情報伝達手法であるインターネットに大きな可能性を感じていたのだと思う。そんな時代の中で、可能性に賭けた一部の起業家は事業が発展し、株式を公開するなど成功を収めていった時期があった。2000年代の中ごろのことだった。当時の私はと言えば、インターネットの可能性を感じ、何かしたいと思ってはいたけれど全くカヤの外、同世代の起業家たちを、指をくわえて見ているだけだった。


その後、自身の専門領域で何か事業ができないものかと藻掻いていたら、テクノロジーはさらに進展し、インターネットは誰もが簡単に利用できるツールへと進化した。このような流れが後押ししてくれたおかげで、主に中高年がユーザーである私たちの取り組みにも少しずつ日が当たるようになり、事業も進展していった。そして2015年には私たちの会社も株式を公開することができた。前述の起業家たちからは約10年遅れたけれど。公開後は人材も集まりやすくなったり、社会的な信用も増したりした。さらに、そこから得られた新たな気付きをもとに「終活インフラ」を標榜し、次なるチャレンジを行っている。


さて、私はここで自社の辿ってきた道のりについて書いたが、テーマはそれではない。生きていると「がまんのタイミング」と「チャンスのタイミング」があるのだなって気付きを共有したいのだ。2000年代の中ごろは、まだまだ自分のタイミングではなかった、そんなふうに振り返って思うのだ。がまんのタイミングでは、何とかしたいと思ったり、焦ったりするけれど、じたばたしても仕方がないのだと思う。自分のやり方や方向性が間違っているのはないかと思ったりして、変えようとしたりするけれどそれも違う。単にまだタイミングではないだけなのだ。与えられた環境のもとでコツコツやるべきことをやっていれば、いずれ自分のタイミングがやってくる。大切なことは、そのタイミングまで粘り強く待つということだ。(余談だがゴルフや麻雀をそこそこする人ならこの感覚わかるのではないかと思う。)


私たちの事業の話に戻せば、公開前から行っていたお墓や葬儀などの供養の領域でのマッチングビジネスというチャレンジでは、チャンスはやってきた。その後、事業の定義を見直し、何年か前からチャレンジを更新し「終活インフラ」と設定した。だけどこのチャレンジでは、まだまだがまんのタイミングだ。とはいえ前述の経験もあるから焦ることはない。大きなチャレンジはそれなりの時間軸が必要なわけだから、大切なことは近視眼的にならないようにすることだと思っている。このタイミングでは魅力的だけど身の丈に合わない話や手っ取り早いおいしそうな話が時折り舞い込んでくるが、こういったことを簡単にスルーできるように今はなっている。タイミングはこちらから無理に作り出すのではなく、向こうから自然とやってくるという学びがあったからだ。


ということで今回のテーマは「がまんとチャンス」とさせてもらった。たとえば採用の面接をやっていると、がまんのタイミングで転職をしてしまったのではないかと感じるケースがよくある。もちろん環境を変えるべき時もあるのだろうが、次のチャンスをじっくり待つことも大切なのだけどなあ、なんて思ったりすることが多くある。もちろん他人様のことだから、良くは分からないのだけど。


株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝