2012/08/30
ビジネス
暑さがやっと峠を越え、秋の気配が感じられるようになってきた。首都圏は例年に比べても猛暑の日が多く、屋外での活動も鈍り気味。そんな状況だったのに、去年はあれほど騒がれた節電の話題は今年はほとんど関心が払われなかった。
わがオフィスでは昨年は節電のために慌てて電気屋に走り、いくつもの扇風機を買ってきてオフィスで回しながら涼を確保していたのに、今年は扇風機の出番もなし。もちろん、電力会社から使用量の見通しは WEBサイトなどに出ており、利用者への節電への意識付けは行われていたようだが、これもあまり気に留めることもなかった。なんだ、実際は電力って足りて いるのじゃあないかなどと思ったりもしたが、考えてみれば9月からの電気料金の値上げも控えているので、利用者の不満が爆発しないように、供給不足の話題は持ち出せなかったのかもしれない。
そんな中この夏は、大飯原発の再稼働をきっかけとして原子力発電に対する国民の反対運動が全国的に盛り 上がった。「脱原発」─安全を最重視し、原子力発電所の再稼働は一切認めないという意見は分からなくもないが、そのことによって別の問題が生まれていない かという視点を多くの人は持つべきなのではと感じた次第。たとえば原子力を止めても、すぐに太陽光や風力、地熱などの再生可能エネルギーによって代替できるわけではないのだから、当分は火力発電つまり化石燃料を燃やし続けなくてはならない。ただ、この方法は温室効果ガスを大量発生させ、地球温暖化を引き起 こすと言われているから、地球環境にとっては決して良い話ではない。でも、それによって多くの人命が失われたとしても、起こるのはずいぶん先の話だろうから知ったことではない、というのが彼らの論理なのだろうか。さらに、現実問題として燃料はもっぱら輸入に頼らざるを得ないのだから、当面わが国全体では毎年数兆円の燃料輸入が必要になってくる。電力会社に対して「値上げはけしからん、身を削れ」と言っても、そんなことができたとしてもわずかな期間だけ。最終的には国民が負担することになるのだろうから、これは国富の流出というカタチで国民を貧乏にさせるわけだ。
客観的に眺めれば、 「脱原発」を唱える人たちは、原発というリスクを過大視し、その受け入れを拒むと同時に、(無意識のうちに)地球温暖化や電力料金の負担増というリスクを 過小評価しているわけだ。話は異なるが先般、紆余曲折の末に消費税増税法案が可決されたが、これに反対していた人たちも、目の前の負担増というリスクを拒 み、もっと先の国家財政の危機というリスクを過小評価していると言える。
このように私たちは日々の生活の中で、リスクが大きいと感じるもの の受け入れを拒否し、リスクが小さいと感じることの受け入れを行っている。日本において原発事故で死者はまだ出ていないが、自動車事故では毎年多くの死者 が出る。でも、脱原発を唱えながら「自動車は運転するよ」という人は多いだろう。そのように考えると人がリスクをどう感じるかということと、その客観的な 結果については特段の相関関係はないわけだ。
ビジネスの世界でも同じようなことが繰り返されている。たとえば、街を観察していると飲食店は どんどん入れ替わっていることに気付くはずだ。このことは開業しても成功するケースは極めて低いことをあらわしている。しかし、商業的な成功や、顧客に美味しいと言ってもらえることを夢見て、リスクを取ってチャレンジする起業家たちが数多く存在する。客観的に見て成功する確率は低いよと周りからは思われても、本人はそうは思っていない。実際、確率は低くても成功する起業家もいるわけで、そのような人たちが雇用を生み出し、税を納め、というようなかたちで社会に貢献していく。いろんな価値尺度を持った人たちが存在していることが社会の発展には大切なわけである。
個人的には今すぐの「脱原発」を求める人には賛成できないし、どうしてこの人たちは分からないのだろう?
などと考えたりするが、いろいろな価値尺度があることが重要だったりするのだと思うと、「暑い中のデモ活動、ご苦労さま」と声を掛けてあげたくなるのである。
株式会社鎌倉新書
代表取締役社長 清水祐孝