2010/03/01
ビジネス
最近、葬儀に関する雑誌や書籍の発行が相次いでいる。週刊ダイヤモンドでは、「安心できる葬儀」という特集が組まれていたし、宗教学者である島田裕巳氏の新書「葬式は、要らない」はベストセラーランキングに名を連ねている。
葬儀は、高齢社会が進展する中では消費者にとって大きな関心事のひとつなのかも知れない。そう思い、どれだけの人が買っているのだろうと気になって人に会う たびに聞いてみた。しかし、業界と関係のない人たちでこのような雑誌や書籍を購入した、あるいは読んだという人にはこれまで会ったことがない。もちろん、 サンプル数が少ないので正しいかどうかは分からないのだが、この手の雑誌や書籍はどうやら、業界内部および隣接業界の需要によって売れているようである。
考えてみれば、葬儀社の経営者や、そこに勤める人たちにとってどのような報道がなされているかは大きな関心事である。全国に葬儀社は6〜7千社ぐらいあるわけだし、従業員まで含めればその数は膨大である。また、周辺のビジネスである仏壇仏具店は数千軒あるし、石材店に至っては1万社以上あり、これらを合わせるとその数はさらに膨らむわけだ。
極めつけは僧侶である。全国の寺院は8万といわれるが、葬儀や法事の際の布施が大きな収入源の住職にとっても、葬儀につ いてのマスコミの雑誌や、学者の書籍は知っておきたい情報であろう。他業界に比べれば、このような発刊物が出される頻度も少ないし、タイトルもセンセーショナルであるがゆえ、これら関係者の購入によって売上げにつながっているのだろう。
内容について見てみよう。
週刊ダイヤモンドの特集は、「安心できる葬儀」という落ち着いたものだが、6章建てとなっているそれぞれのタイトルはかなり過激だ。(序章)遺族を襲う騙しの手口、(第1章)癒 着が生んだぼろ儲けの構造、といった刺激的な文言が並ぶ。
例えば前者では、心付け(チップ)の問題を指摘している。もちろん、心付けは葬儀業界だけに存在 しているものではなく、旅館や引っ越しなどでもお世話になる方に対する気持ちとして渡すということは一般的に行われていることだし、常識を逸脱した部分に ついてはこれまでも度々指摘され改善されてきたはずである。
雑誌では、葬儀のさまざまな局面で総額5万3000円もの心付けを支払っていたことが題材と なっているが、事実であるとすればこれは大きな問題である。
第一に、心付けなるものが支払う側の心持ちから発生していたのではなく、半ば強制的に払わせら れていたこと。
次に、それを要求する役割を葬儀社サイドが担っていることである。
心付けは(仮に受け取って良いとしても)、支払う側の気持ちから発生すべきものであるし、葬儀の担当者がその要求者となっていては消費者の理解は得られない。いくら葬儀業界の透明化を訴えても、このような慣習を放置していては 社会からは色眼鏡で見られることを変えることはできない。業界はこのような指摘を受けることが、行われていないかを調査し、あるとすれば適切な対応を考えるべきであろう。
また、別の章では葬儀の受注ルートについての指摘もある。病院や警察、寺院からの一般的な受注の構造が明かされている。もちろん、消費者を欺くようなことや不透明な金銭のやりとりは厳に謹むべきであるが、どこの葬儀社も、それがビジネスである以上、顧客を獲得するためのコストは支払っているはずだ。広告代理店に広告料を払うのはいいが、病院に紹介料を払うのはいけない、といったことは言えないし、100万円の広告で10件の葬儀施行が得られるよりも、5万円の紹介料で20件の施行を得られた方がマーケティングコストは安い。従って、このようなルートからの受注によって、必ずしも消費者が不当に高額な買い物を強いられているというわけではない。
私は、葬儀社の適切な方法による受注ルートの確保には堂々と励めばよいと考えてい る。
一方、ベストセラーとなっている「葬式は、要らない」タイトル自体はセンセーショナルだが、内容については葬式自体を否定しているわ けではない。
葬式が贅沢になっていった背景を仏教の変遷や、寺請制度との絡み、あるいは戒名といった切り口から指摘した上で、高額な戒名や贅沢な葬式は無意味であることを説いている。その意味で「葬式は、要らない」というタイトルは、内容とのギャップがあるが、販売部数の極大化を目論む出版社と、それに応じて所得が増減する職業としての作家の方便と理解すれば目くじらを立てるほどのことでもない。
タイトルや内容がセンセーショナルでなくては、販売部数は増えない。その意味で、著者も出版社も、葬儀社と同じようにあの手この手で収益確保に必至にもがいているのである。確かに多少の誤解や誇張もあるが、憤慨する前に自由経済下における微笑ましい営みと考えればよい。参考にすべき点は大いに参考にして、葬儀社は顧客に価値を感じていただくための 自己研鑽に努めるべきである。
株式会社鎌倉新書
代表取締役社長 清水祐孝