2013/09/30
組織
「銀行からの借金の保証人をしなくてよくなったので、何となく気が楽になりました」。これは社長の役職を後継者に譲り、自らは会長に就任したある経営者の語ったひとことだ。その時は、「優良企業なのだから保証人なんて儀式みたいなもの、気が楽になるなんて不思議?」などと思って聞いていた。会社の借金を個人が保証することは、優良企業のオーナーでさえ気が楽になるのだから、そうでない一般的な企業においてはそれなりのプレッシャーがあるはずだ。
このように、中小・零細企業におけるオーナー経営者は、会社の存亡が個人の人生と直結している。会社が大きく発展すれば、個人の暮らし向きや社会的地位も向上し、有形無形の資産を所有することが可能になる。そして(他人から見れば)羨ましく思われるような人生を送ることができたりする。しかし、いったん会社が危機に瀕すれば、個人の生活はその状況に伴って厳しいものになっていく。さらに危機から脱することができずに、会社が破たんしてしまうと、取引先や従業員に対して大きな迷惑を掛けてしまうのみならず、経営者である個人はその責任を問われることになる。多くの場合において、会社の負債を個人が肩代わりしなくてはならなくなってしまう。
そうはいってもオーナー経営者は、そもそも会社と一蓮托生の人生を歩んできたわけだから、ほとんどの場合すべてを肩代わりすることは出来ない。したがって、個人もデフォルト(破産)を宣言する羽目になり、社会的に制裁を受け、以後はその履歴とハンディキャップを背負った人生を強いられることになる。もちろん、間接的にその家族にもその影響は及ぶわけだ。
こんな目には誰だって遭いたくないと思うのは当然である。その結果、オーナー経営者の経営に対する感覚は研ぎ澄まされることになる。「1円でも売上を増やしたい、1円でもコストを下げたい」そんな思いは強烈である。でも、そんなことはリスクと背中合わせになっていない社員には分かるわけはない。もちろん彼らは売上を増やしたくないわけでも、コストを下げたくないわけでもない。オーナー経営者ほどには、感覚が研ぎ澄まされるような環境に置かれていないだけである。
セコい話をしよう。先日、私のもとに銀行決済の承認申請が回ってきた。その中に少し懐かしい仕入れ先の名前があった。何かと思って伝票を見てみると、これも古くから扱っていた書籍の仕入れで、2万円のものを5冊仕入れるという。そこで、この書籍がどれくらい売れているのだろうと調べてみた。過去3年で6冊しか売れない書籍であった。この5冊の書籍を売り切るのに、最低3年は掛かるであろうと推察するのは難しいことではない。であれば、1回あたりの仕入れを少なくするなどの措置を取ろうと考えるのが経営感覚である。しかし、この伝票は3人の社員の目を素通りして私のもとにやってきた。彼らの名誉のために言っておくが、この責任は社員には全くない。このような経営感覚は、リスクと背中合わせの人間のみが得られる特権であって、能力ではないのだ。ましてや、明確な仕入れのルールが弊社にあったわけでもない(自慢するなって)。
繰り返そう。経営者は優秀だから、鋭い経営感覚を持っているわけではない。会社が危機に陥れば、個人の人生に直接影響が及ぶ、つまりリスクと背中合わせに生きるという仕組みがあるから、経営感覚が鋭くなるのである。それを、リスクと背中合わせになってない人に求めるのは酷な話である。そのためには、規則やルールでマネジメントすることが必要になる。
もしあなたが、社員に経営感覚を持ってもらおう、そして会社の経営を担ってもらおうと思うなら、オーナー経営者と似たような環境を用意することが重要である。リスクを背負ってもらうことは難しくとも、リターンと背中合わせになってもらうことは可能なはずだ。たとえば前述の事例でいえば、何らかの経営改善に対しての表彰、報奨金などの制度が考えられる。業績連動型の賞与や、持ち株制度も同様の思想でつくられた仕組みであると考えられる。
「社長の私でなきゃいいものは売れない」「社員には仕入れは任せられない」。無邪気な経営者は、自らの社員に能力が足りないと嘆く。でも、足りないのは能力を発揮する仕組みである。そのことに気づかない経営者には未来はない。
株式会社 鎌倉新書
代表取締役社長 清水祐孝