2020/03/01
ビジネス
「社長がひとりで回られているのですか?」
「はい、そうですけど」
全国のあちらこちらに講演に出向いたり、機関投資家のオフィスに伺ったりする際、開口一番に聞かれることだ。講演を複数の人間で行うわけでもないし、相手の質問に即答できなければ、後で返答すればよい。そんな感覚でいるので、付き添いの必要性を感じていないのだが、そんな質問をされるということは、このような活動も複数の人員で行っている会社が多いということだろう。
大企業であればそれでも良いのかもしれないが、こちらは中小企業であり、余計なコストを使ってはいけないという意識もあるのでひとりで頑張ってあちらこちらに出かけている。一日に5つも6つも訪問しなくてはならない日がたまにあるが、専用の車や運転手さんがいるわけでもなく、そんな日は移動だけでも大変だ。タクシーが捕まらず次の訪問先に遅刻しそうになったり、あるいは移動のたびに時間が余るものだから、1時間おきにコーヒーショップに入って時間を潰したりといったことが繰り返される。そんなときは、かえって非効率だと思うこともあるが、もったいないという意識に勝るほどでもない。
もともと非上場の零細企業のオーナーだったせいか、ひとりでできることを複数の人数でやるということには、抵抗があるのだ。
解説しよう。
非上場の零細企業オーナーというのは、会社の浮沈と個人のそれとが完全にリンクしている。たとえば会社が借金するときには、個人で保証のサインをさせられる。会社が立ち行かなくなったときに、個人が返済できる可能性はふつうない。よってこんなことはナンセンスだと思うのだが、要は常に崖っぷちに追い込まれた気持ちで働けということだろう。結果的に、コスト意識はめっぽう鋭くなるのだ。横道にそれるが、成功しているオーナー経営者と付き合っていると、日々大きなビジネスをやっている割には、細かな金銭のやり取りにシビアな人が多いと感じる。これは、きっと苦しかった零細企業時代に培われたシビアな金銭感覚が抜けきらないからだろう。
最初の話に戻そう。
コストが掛かっても、重要度が高いから複数の人間でやるのだという議論もあるだろう。しかし、これまたわたしの感覚はちょっと違う。重要なことであればあるほど、頭数を並べるよりひとりでやったほうが説得力が増すと考えてしまうのだ。そして複数の人を揃えたことによってカバーされることは、さして重要度が高くないことぐらいに思っている。零細企業のオーナーは配属される部署などない。企画も製造も営業も経理も総務も人事も、何でもかんでも自分でやらなくてはならない。そんな経験の結果として重要なことはひとりでやる、と考えるようになったのだ。
こんなことを考えていると、(特に初代の)オーナー経営者とそれ以外の経営者は、モノの見方、考え方が結構違っているように思えてくる。ときどき、経済雑誌などでオーナー企業の強みとして、思い切った意思決定ができることや、トップダウンによる浸透度の速さなどが指摘されている。まあそうなのかも知れないが、これらは実力のある経営者であればオーナー経営者でなくとも実現は可能だ。いっぽうで、オーナー経営者でなくてはなかなか持ち難い視点がある。それは、未来の企業業績に対しての意識ではないだろうか。
経営者に対する成績表はふたつあって、ひとつめが足元の業績であり、もうひとつは未来の業績。未来の業績は上場企業の場合、時価総額で表される。本来であれば、経営者はこれらを両立させなくてはならないのだが、オーナー経営者でない場合は(一般的に株式をあまり保有していないのだから)未来の業績に対するインセンティブは乏しい。いっぽうで足元の業績については、自らの進退や収入に直結するから敏感になる。いっぽうのオーナー経営者(特に初代)は、短期的な業績がどうであれ、進退を問われることは少ないし、何より大株主でもあるわけだから、未来の業績に対するインセンティブは大きい。そんなこともあって、わたしの場合はいつも今後10年間の利益の総和を極大化するにはどうするべきかという視点で経営を行っている。
最後に、このような観点からも初代のオーナー経営者(スタートアップの起業家)が増えていくことが社会にとって重要だということになる。長期的な視点で価値の創造に挑戦する人が増えなくては、未来は明るくならない。当たり前のことだ。
株式会社鎌倉新書
代表取締役社長兼会長CEO 清水祐孝