会長コラム“展望”

履歴書・経歴書

2020/02/02

組織


わたしたちの会社では、人の採用に関して最後にわたしの面接の順番が回ってくることになっている。

近ごろは活発に採用活動を行っているので、目に見えてその回数や時間が増えている。そこで今回は、面接(あるいは面談)の際に感じていることを書いてみたい。


原則として、わたしが面接をさせていただく人は採用活動を行っている部門や人事の担当者が会った上で「この人と一緒に仕事がしたい!」と思った人なので、そこからわたしが振るいを掛けるというものではない。最終面接などと呼んでいるようだが、忙しい中で人材を探し、時間をかけて見つけてくれたメンバーに失礼なので、最初の数分間で一緒に働く人として問題ないと思えば基本的にそれでOKというのがスタンスである。


問題ないという基準は実にあいまいなのだが、要は経験やスキルが満たされているか否かではなく、会社に溶け込んで、仲間と上手くやってくれるかどうかであり、数分間はそれを想像する時間だ。それらについては、話した感触はもちろん、履歴書や経歴書からの推察や本人が醸し出す雰囲気というものが主な判断軸になっている。ただしこれらは、あくまでも感覚的なものではある。

そして残りの面接の時間は、むしろわたしたちの会社のことをよく知ってもらうために使っていることが多い。会社の辿ってきた道や、これから企業として社会のどのような領域で、どんな貢献がしたいのかを聞いてもらう時間だ。


当たり前だけど会社選びはひとり一人の人生にとってとても重要な選択である。単に労働とその対価を交換する場ではないし、金銭以外に得られるものがいろいろと存在するはずである。適切な人間関係やコミュニケーションは、限りある時間を有効に使うことにつながるし、人の成長の機会にもなる。そんなことをわたしたちの会社に対してイメージしてもらえるといいなと思いながら話を聞いてもらっている。ポジティブな印象を持ってもらえたら嬉しいし、そもそも優れた人材は他の会社からもお声がかかっている可能性も高いわけだから、ここでも他者との差異を生まなくてはいけない。


さて、原則はそれで良いのだが、面接の過程で「判断に迷っているので、意見を聞きたい」というケースがたまにある。要は一緒に判断してくれと言われる場合だ。この場合は、とても難しいと感じることが多い。もちろん人物についての判断もそうだが、その人の経歴や経験、あるいはスキルについても聞かなくてはならないわけで、どんな環境でどのようなことをしてきたのか、懸命に想像力を働かせて聞いている。その上で、仲間に加わって欲しいかどうか、自らの意見を形成するのだが、その判断に対する確信は何年やっても生まれてこないというのが正直なところだ。

採用については、それほど難しいということだと思うが、考えてみれば、人を的確に見分けられたら世話がない。なので、そんなことを考えるよりも、せっかくの人材が生きるために自分たちに何ができるかとか、組織に問題が生じていないかを考える方が、よほど建設的なのではと考えたりする。


これまでは中途採用の場合だが、新卒採用ともなると職業上の経験やスキルが存在しないので、何を判断基準にするかはさらに難しい。例えば学歴(学校歴)が何の判断に役立つか考えてみると、それらは地頭の良さ、要領の良さ、努力を惜しまない、目標設定能力、目標到達への意欲度、等の指標になるのかもしれない。しかし、コミュニケーション力や人に好かれる力、仲間を巻き込む魅力、斬新な発想等も仕事には重要なわけで、そう考えると学歴はわずかな参考指標にしかならない。


あまり関係ないが、書物の巻末や論文には著者、講演では講演者の学歴や職歴が必ず添えられている。また企業の概要には経営者や経営陣の学歴や職歴が掲載されている。ほとんどの人は学歴や職歴といった情報からその人の能力を類推するからだ。同様にわたしたちは履歴書や経歴書を見て、その人物を類推する。

しかし、類推で人の見極めはできない。


類推と想像力で人の可能性を見出す能力が身に着けば良いのだが、進歩のない中でもがくばかり。

運と縁に頼るばかりの毎日だ。


株式会社鎌倉新書

代表取締役社長兼会長CEO 清水祐孝