会長コラム“展望”

コミュニケーション

2012/12/28

組織


新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。


毎年、年の瀬になると 「今年の漢字」なるものが発表される。この原稿を書いている時点ではまだ明らかになってはいないが、インターネットなどで調べてみると、2012年は近隣 の国々との領土問題が大きくクローズアップされたことから「領」とか「争」などのどちらかといえばネガティブな漢字を予想する人が多いようだ。特に中国と の尖閣諸島の領有権をめぐるトラブルでは、外交問題以上に、わが国にとって経済的な大打撃となったことは記憶に新しい。

先日もある経営者の交流会の会合で、来年の海外視察旅行はどこにしようか、という議題があがったのだが、「中国は外しておきましょうよ」という意見に皆が頷いているところをみると、人々の気分も元の状況に戻るには相当の時間がかかるのだろう。


さて、中国との尖閣諸島をめぐる問題、あるいは韓国との竹島をめぐる問題を素人目線で見ていると、それは「領土」の問題ということにはなっているが、よくよく考えてみると、それは日本政府の「コミュニケーション能力」の問題であるよう に思えて仕方がない。それは、民主党政権(この原稿は選挙前に書いている)に諸外国の政権との直接的なコミュニケーションを取る意志や能力がないか、あるいは官僚を通して間接的なコミュニケーションを取らせるだけの力量がないのかのどちらかなのではないか、そしてこのことが、領土がどちらの国に帰属するかという問題よりも重要かつ深刻な、真の問題なのではないかということだ。

もし尖閣諸島を日本政府が購入する前に、中国の指導部との間にきちんとしたコミュニケーションが成立していれば、少なくとも双方の国の経済成長を脅かすような大問題に至らないで済んだのではないかと想像する人は多いだろう。実際、もと もと尖閣諸島は日本が実効支配しており、今回は島の所有名義が変わっただけで、さしたる変化があったわけではない。政府のコミュニケーション能力に関して は、同様の感覚を同じ民主党の鳩山政権下で在日米軍の再編を巡る問題が起こった際も感じたことがある。「アメリカの中枢部ときちんとコミュニケーションが成立しているの?」と。

そんなことを考えていて、他人様のことより、自分個人あるいは企業としてのコミュニケーション能力に問題はないのだろうかと思い至った。当然のことながら企業のコミュニケーション能力は現代において大変重要なテーマである。本稿でも何度も指摘しているように、すべての産業はサービス化しているわけだから、その重要性は高まるばかりだ。

たとえ販売のチャネルがインターネットに移行しても、そこで成功する企業の多くは商品の優位性というよりも、コミュニケーションのとり方に秀でているものが大半である。もちろんインターネット上のコミュニケーションのとり方は、リアルな フェイストゥーフェイスのそれとはおのずと異なるわけであるが。

そして企業のコミュニケーション能力とは、イコールそこで働く人材のコミュ ニケーション能力であり、これに企業風土をブレンドしたものである。だから、経営者は自らのコミュニケーション能力を磨くと共に、その部分での能力や意欲を持った人材、コミュニケーションを活性化する企業風土づくりに協力を惜しまない人材を登用しなければならない。

時々、コミュニケーションが不得手(たと えば、とても偉そうな物言いをする)な人に出くわすことがある。傾向的に医者とか僧侶とか、いわゆる先生と呼ばれる職業にこのタイプが多い。彼らは多くの 場合、一般の社会と隔絶されたところにいて、しかも職業柄世間が狭くなってしまい、上から目線でのコミュニケーションしか経験できずに何十年もの時を過ご す。一般的な仕事をしていれば、下から目線、上から目線、同等のレベルというふうにさまざまなコミュニケーションの場面が与えられるのだが、彼らにはその ような経験を得る機会が与えられない。

本人の資質の問題よりも不幸な環境の問題が大きいのだろうが、上から目線のコミュニケーションしかできない人に、い つまでもお布施を差し出す檀家はいないし、通い続ける患者はいない。名僧、名医と呼ばれる人の多くは、僧侶や医師としての能力よりも、コミュニケーション の達人であることが多い。

お互いを知り、尊重し、尊敬する、そのようなコミュニケーション能力の獲得が、個人、企業、そして国家というそれぞれのレベルでますます重要になっていると感じるこのごろである。


株式会社 鎌倉新書

代表取締役 清水祐孝