2023/02/01
ビジネス
信越化学工業で長くトップを務めた金川千尋さんが亡くなった、享年96歳。
同社を化学品メーカーで国内トップの時価総額に導いたことで著名な経営者だったので、前から名前は知っていたし、著書にも覚えがあった。書棚を探してみると「危機にこそ、経営者は戦わなければならない!」「常在戦場」というタイトルの2冊が奥の方から出てきた。久しぶりに読み返してみたのだが、すごい成果を成し遂げた経営者の割にはボールペンで線が引かれた部分がない。つまり目から鱗って思えるような記述がなく、経営者が著書にはよく書かれているような一般的なネタばかり。常に情熱をもって仕事に打ち込むこと、気を緩めることなく凡事を徹底し繰り返すこと、みたいなことが書かれていて新鮮な驚きがない。稲盛和夫さんのように崇高な哲学を語るわけでもないし、後進の教育に力を入れたわけでもない。そうした意味では地味な人なのだろうが、その偉業は稲盛さんに勝るとも劣らない。
さて、信越化学工業が世界でトップシェアを誇る製品が、塩化ビニールと半導体の主要材料であるシリコンウエハーという。どうやらこれらは、景気によってその価格が大きく変動する市況製品のようだ。そんな中で同社が世界有数の化学品メーカーにまで成長したのはどうしてなのだろうか。全くの推論、大雑把な仮説ではあるのだが、ちょっと考えてみた。
市況によって大きな影響を受ける製品で勝ち残るためには、①徹底した合理化でコスト競争力を磨き続ける、②景気が後退し需要減少するといったタイミングにあっても、果敢に研究開発や設備投資を行い、リスクを取りに行くと、いったことが大切なようだ。①はどんな企業にあっても必要な勝ち残りの要素だが、市況製品の市場にあってはおそらく②もとても重要、だけど難しい企業行動なのではないだろうか。市況製品にあっては景気が後退し需要が減少する状況になると、価格の下落が起こる。当然利益が減少するわけで、そんな中でほとんどの企業は「当分は様子を見ながら耐えてきましょう」となりがちになる。新たな投資を言い出すような雰囲気はなく、あったところでそんな議論は棚上げされる。そして景気が良くなるタイミングを待ちましょうってことになる。しかし、次のタイミングを待ってから投資していたのではマーケットシェアは上がらない。ライバルも同じような行動をとるからだ。いっぽうで、需要が減少している景気の谷に向かう中で果敢に投資を行ったらどうだろう。当然リスクは大きくなるが、その後の景気が立ち上がっていく早目のタイミングで製品を大量安定的に供給できる体制がいち早く整う。景気の悪い時期の投資は、コストも下がるので、安定供給と価格の優位性でシェアを他社から奪うことができるだろう。景気のサイクルは何度も繰り返すから、そのような行動を取る信越化学工業のような企業は、そのたびごとにシェアを奪い続け、価格競争力を持ち、といった流れになっていく。こうして卓越したナンバーワン企業は出来上がっていく。
例えば典型的な市況製品である半導体である。1980年代から90年代の初頭までは日立、東芝、NEC、富士通といった日本企業が圧倒的なシェアを誇っていた。しかし今日、半導体メーカーのチャンピオンはサムスン(韓国)で上位に日本企業の姿はない。半導体産業はシリコンサイクルと言って約4年ごとに景気循環を繰り返す習性があるという。こちらも景気の谷に向かう中で次の時代に向けた研究開発と設備投資を果敢に行ってきた韓国や米国の企業がトップに君臨するいっぽうで、(ここでは詳述しないが)さまざまな理由でそれができなかった日本企業が脱落してしまったということだろう。半導体メーカーにも金川さんのような経営者が存在していれば、1社ぐらいは日本企業が生き残っていたのかもしれない。
現在、半導体の産業全般ではファウンドリーのTSMC(台湾)が世界の時価総額でトップだが、この創業者のモリス・チャンさんも金川さん同様に、優れたリーダーシップの下でシリコンサイクルの山谷で適切な投資を行いのし上がっていったのだろう(もちろんそれは成功要因の一つに過ぎないのだろうけど)。サムスンのイ・ゴンヒさんもおそらく共通だ。目先ではなく、もっと先を見据えたオーナー(あるいはオーナーのように振舞える卓越したリーダーシップを持つ経営者)が、果敢にリスクを取りに行く。そして景気の山谷を何度も潜り抜けた先に現在の業界構造は出来上がっているように推測される。
ということで世界での存在感の薄い今日の日本企業だが、昨年ラピダスという新たな国内半導体メーカーが産声を上げたというニュースを目にした。半導体製造装置の大手東京エレクトロン(TEL)のトップを長く務めた東哲郎さんが中心となってチームを結成、最先端の半導体づくりにチャレンジするらしい。半導体安保的な国家間の思惑も背景にあるのかもしれないが、この産業を知り尽くす人たちによるチャレンジには、久しぶりにワクワクする思いがした。すぐに成否がわかる話ではないけれど、30年ぐらい先には日本企業の復権が実現できないとは言い切れない。金川さんが磨き上げた信越化学工業のように世界をあっと言わせてくれるといいな。
株式会社鎌倉新書
代表取締役会長 CEO 清水祐孝