2023/04/02
社会
「資産所得倍増プラン」なるトピックをちょいちょい目にするようになってきた。もともとは昨年 5 月に岸田首相がロンドンで行った講演で言い始めたものらしく、その後内閣官房に「新しい資本主義実現会議」が設置され議論が進められている。中身を読むとその意味は、資産と所得を共に倍増させようということではなく、資産から生み出される所得を増やそう、つまりは「資産からの所得倍増計画」ということらしい。売り手目線のセンスに欠けるネーミングもあるが、そもそもこのワードを聞いてピンとくる日本人はどれほどいるのだろうかと思ってしまう。というのも、資産が所得を生み出す経験が乏しく、もっぱら労働によって所得を得てきたのが日本人であり、バランスシートを意識しないで生きてきた国民だからだ。
金融リテラシーについては欧米では若いころから教えられるのに比較して、わが国では始まったばかり。働く人の多くを占めるサラリーマンの給与は天引きされ、年末調整まで企業にやらせるから、フローは理解してもストックの概念を学ぶ機会がない。手取りしか見ないから税金や年金・医療などの社会保障費をいくら払っているかについても意識できない(=政治への意識も高まらない、これは余談)。そんなこんなで金融資産に占めるリスク性資産の割合は、日本が13.0%であるのに対し、米国は 44.8%、欧州は 25.9%。ダブルスコア、トリプルスコアの格差なのだ。
企業においては、PL(損益計算書)と BS(貸借対照表)はその経営成績や財政状況を表す財務諸表として大切なものなのでこれを知らない人は多くない。PLはフローの概念で、ある期間内の売上や費用、利益等の増減を表す。いっぽうBSはある時点での資産や負債の量(=ストック)だ。さてこのフローとストックの概念は個人についても当然適用が可能なわけで、フローは一定期間内に収入があって支出をして、残りを貯金しました、みたいなことだし、ストックは長年のフローの累積により、資産や負債がいくらあります、ってはなしだ。お金を生み出す行為の中で、「給与を得る」ということは働く人は誰でもやっていることだが、例えば「投資していた会社の株価が2倍になったので売って利益を得る」ということもたまにはあったりする。前者は人的資本の労働市場への投入から生みだされたリターンであり、後者は金融資本の資本市場への投入から生みだされたリターンということになる。
企業においては、所有していた遊休不動産を売却したら売却益が出ました、なんてことがたまにあったりして、これは営業外の利益として計上される。岸田首相が言い出したのは個人においても企業でいうところの営業外の利益を倍増させましょうってことである。でもそのことは口で言うほど簡単なことではない。なぜならそれは、リスク資産に対する投資の奨励であり「資産所得倍増プラン」は「資産半減プラン」でもあるからだ。当たり前のことだが、ゼロ金利を続けるこの国において預貯金で資産価格を倍増させることは不可能であり、倍増にはそれに見合ったリスクを引き受けなくてはならない。突き詰めれば、(慣れていない国民に対して)自己責任でやってくださいね、というはなしでもあるわけだ。
もちろん、フローとストックの両方からの所得があれば、消費は自ずと活発になる。活発な消費は、適度なインフレと企業業績の向上を生み出し、賃金もこれに呼応して上昇する。さらに消費が活発となり・・・という好循環を描くようになる。日本はこの30年で「フロー&ストックからの所得」という仕組みづくりで欧米に遅れた。バブル経済が破綻し、国民にストック思考がない中でフローの所得の伸びが止まると、消費が縮こまりインフレ率も低下する。すると企業業績が伸びないから賃金が増えない・・・という悪循環にはまってしまった。10年前から劇的な金融緩和を行ってはみたものの、国民にこうしたリテラシーがないから投資に回る資金は限定的で、ストックからの収入は大きくならなかった(むしろ金利があった方が、利子所得が得られるからかえって良かったのかも知れない)。
岸田首相がぶち上げた「資産所得倍増プラン」の方向性はきっと正しい。だけど、その意味するところは国民のリスク許容度を引き上げることを通しての経済・社会の活性化、そして豊かな国づくりであって、NISAの拡充なんて単なる手段に過ぎない。なので、会議では手段を中心に据えるのではなく、目的を明確に伝えることから始めるべきだ。そして資産所得倍増実現のためには、民間の経済活動を活性化させる後押しとしての規制緩和など国がやるべき施策が山ほどあるわけで、本来はここも同時に議論すべきだろう。それなのに、現状は少しインフレになったぐらいで、ガソリンや電気料金に補助金、低所得世帯に給付金、なんてやっている。国民に対して貯蓄(安全資産)から投資(リスク資産)への傾斜を目指す「資産所得倍増プラン」を、政府や岸田首相はほんとうに推し進められるのだろうか?
株式会社鎌倉新書 代表取締役会長CEO
清水祐孝