2023/12/01
個人的価値観
先日、叔母(母親の妹にあたる)が亡くなり、年老いた母親を連れて葬儀に参列してきた。2人の姉妹は九州の田舎で育ったのだが、東京に出てきてそのまま結婚してしまった母親とは異なり、叔母は地元でそのまま社会人となり、結婚した相手に婿に入ってもらった。そして生まれ育った家で、その後生まれた子供たちとともに長く暮らしていた。なので私が子供のころに母親に連れられお盆や暮れに帰省をすると、その家には必ず叔母(とその家族)がいた。都会で育った子供にとってたまに訪れる田舎は刺激的で、山に入って希少なカブトムシやクワガタを採取したり、川で釣りをしたりと楽しい経験をたくさんさせてもらった。また遊園地や海に連れていってくれたり、お正月には近くの親戚や近所の人たちの家に連れていき私のためにお年玉をせしめてくれたりと、母親より6歳年下の叔母にはとてもお世話になった。
飛行機で福岡空港まで約2時間弱、そこからクルマを1時間以上走らせ、まずは母親の生家のお墓参りをしてから叔母の葬儀が行われる式場に向かった。今でも地域コミュニティが機能する地域であることや、叔母もまだ若く交友関係も広かったのだろう、葬儀には多くの参列者が訪れていた。
葬儀に出向いて故人と対面することには重要な意義があると私は考えている。宗教的な意義は俗人の自分には分からないが、葬儀は他人の死を通して、自分の生について考える貴重な機会だと考えるからである。人類の長い歴史の中で死なないで済んだ人は一人もいないのであり、いつか必ず自分の順番が回ってくる、それは当たり前のことだ。その当たり前に気が付けば、自分の残された生について考えることができる。故人を題材にして故人とご縁があった人たちが学ぶ場、これが私たちにとっての葬儀の意義なのだ。つまり故人が先生、遺された関係者が生徒という構図である。故人はもはや公共財であり、教育者だと私は考えている。
「次はあなたの番よ。それまでの時間をどう生きるのですか。意味のある人生を送りなさいよ!」この世を卒業した叔母の遺体が私に向かってメッセージを送ってくる。あの世では、金銭などこの世での価値観がすべてリセットされる。残りの人生、何に価値を置きどのような意味を持たせるのか、死者と向き合う葬儀という場がリアルに問いかけてくる。叔母の問いかけに対する返答は「我が国における終活のインフラを構築する」という仕事を全うすることで次の世代のお役に立ちます、ということになる。高齢社会が進展し家族関係が変わりゆく中で、これらは全く未整備の領域である。終活インフラの構築は日本社会の重要課題であり、これが人々の安心や社会の安定を生み出し、活発な消費につながって経済にも恩恵を与えることになる。そう信じているし、限りある残りの人生を賭けるにはとても良いテーマだと思っている。父親の倒産しかかっていた会社を引き継ぎ、苦し紛れに展開してきた事業のゴールが終活だとは夢にも思わなかったが、これも何かのご縁、導きであろう。ということでこれは必ず成し遂げますので関係者の皆さまはご指導、ご支援よろしくお願いします。
株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝