会長コラム“展望”

長期デフレからの構造転換

2022/11/01

社会

長期デフレからの構造転換

25年ぐらい前のこと、着物という日本の伝統産業の生産地が海外に移転している状況について調べたことがあった。著名な西陣織の京都、大島紬の奄美大島、結城紬の茨城県・栃木県をはじめとした産地のほとんどが、90%から100%に近いレベルで生産機能を中国を中心とした海外に移転をしていて驚いた。その実態を見て、同様に伝統的な産業である仏壇も近い将来には海外に産地が移転するだろうと予測するレポートを書いてみた。当時、仏壇業界においては部材はともかく完成品を作ることができる海外の工場はなかった。ある大手メーカーの社長は「着物とは違って仏壇は日本人が仏さまに手を合わせる信仰の対象、海外生産はあり得ない」とまあこんな反応だった。とはいえ、当時は3K職種(きつい、汚い、危険)などというワードが流行る時代で、国内での人材確保の困難さは高まるばかりだったし、手作業中心から機械化が進みつつあることも海外の製造の可能性を高めていた。究極は人件費である。当時の中国のGDPは日本の五分の一程度であり、その格差は当然人件費も同様であった。

案の定、レポートを書いた何年後からは、メーカーの海外進出ラッシュとなった。ライバルが海外工場で生産を始めれば、指をくわえて見ているわけにはいかない。「歩留まりが悪い、品質がまだまだ」なんて言っても、それらは時間が解決してくれる問題で、何より製造コストがまるっきり違ったのだ。「ウチの工場では300人の従業員がいますが、一人当たりの給与が5千円ですよ。日本だったら数人しか雇えませんよ」なんて話を海外進出を果たした経営者から聞いたこともある。

このようにして今日では、信仰の対象の仏壇ですら、その製造拠点はほとんどが海外に移転してしまった。合理的に考えて起こることは、多少のズレがあっても起こるということである。


さて本題である。

周知のとおり世界経済は1990年代を起点としてグローバル化が進んだ。中でも中国が市場経済の陣営に組み込まれたことは大きかった。廉価な労働力を背景に、原料から最終製品に至るまでのさまざまなモノを安価で大量、そして安定的に世界に供給する役割を担ったのだ。そしてその恩恵は、アップルやウォルマートのような巨大企業のみならず、日本の仏壇のような零細の産業にまで及んだ。もちろんこの時代に並行して進んだ情報技術の革新も、モノやサービスの効率化を生みコストダウンに貢献した。

島国で外部との軋轢が少なく、自己主張をしなくて済んできた歴史を持つわが国において企業がモノを安く作れたのであれば、取引先や消費者の反発を招くような値上げをわざわざする必要はない。高齢化や人口減少で需要だってそれほど旺盛なわけではないのだし。賃金だって同じこと、海外の安い人件費を活用すれば良いわけだから、国内の人材需給は逼迫せずに済んだ。よって国内の賃金も上がらない、当たり前のことだ。こうして物価も賃金も上がらず、デフレが長期にわたって常態化してしまった。

グローバル化とわが国の特性が生んだデフレ、その退治に乗り出したのが、安倍元首相の意を受けた黒田日銀総裁だった。2013年に異次元の金融緩和をスタートさせ、2年で物価上昇の目標を2%とした。だけど目標は全く達成されない中でだらだらと10年が経った。ところが今頃になって達成の目途がついたようである。でもそれは、好景気によってモノが売れ、需要が供給を上回り、物価が上がるという想定とは全く異なるもの。原材料や資源価格が高騰し、そこに急激な円安が加わったコストプッシュ型の物価上昇という姿でやってきたのだ。急激なコストアップが続く中で、原資を確保せずに賃金を上げようという企業は少ないだろうから、賃金が上がらない中で物価が上がるという状況が日に日に近づいている。そのギャップは近い将来、貧乏という形で国民生活を直撃することになるだろう。


ガソリンや電気・ガス料金に補助金を投入しても、コストアップが一時的なものであるとすれば良いのかもしれない。しかし、もし構造的なものだとしたら、これも財政を活用した危機の先送りに過ぎない。90年代から続いた経済のグローバル化は、ロシアのウクライナ侵攻と、米中対立をきっかけに逆回転をし始めているのではないかなというのが素人の大局観。低廉な労働力の活用による中国をはじめとした国々からのデフレ輸出も、それらの経済成長と共にインパクトは薄れてしまった。もはや構造的に安く作れる、つまりデフレを演出してくれる仕組みは世界から消え失せてしまったのだ。と考えると今のインフレは一時的なものではなく、30年続いたデフレの時代からの大転換なのかも知れない。今までのような対処療法では難しいのではないのだろうか、素人の杞憂で終われば良いのだけど。


株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝