2015/02/26
組織
わたしが大学を出て社会人になった昭和の時代は、新卒で企業に入社した女性は結婚を契機に退職してしまうことが当たり前だった。同期入社の仲間がどんどん結婚退職したりすると、その予定のない女性まで「私もボチボチ潮時かしら」みたいな気持ちになって辞めてしまうというケースも良く見かけた。出産を機に辞める女性は山ほどいた。出産時は何とか休暇を取ってしのいでも、そのあと生まれた子どもを育てることを考えると、仕事を続けるというのは相当難しかったのだろう。
それから約30年が経ち、女性の働き方は大きく変わった。結婚を機に退職することは少なくなった。出産を機に退職する女性はまだまだ多いが、そのまま仕事を続ける人も結構いる。夫が子育てに参加しやすい職場環境が整備されていたり、子どもを預ける施設が以前よりは充実しているということが大きかったりするのかも知れない。
わたしたちの会社でも、子どもを保育園に送り届けるために時差通勤を利用している社員や、子育てのために早めの時間に仕事を終える社員が男性女性を問わずいる。そのような社員の個々の家庭事情と、その人の仕事における生産性とには相関関係がないことは自明なわけだから、一人ひとりの事情に即した勤務体系や条件をできる限り整えることは会社としてとても重要なことだと考えている。
そう考えるのは、共働きが当たり前になった現代社会の要請だからというだけではない。(企業にとっては結構骨の折れる作業である)柔軟な勤務体系を用意することが採用の差別化につながり、優秀な人材の確保につながり、ひいては企業としての差異を生み出すことにつながるという側面もあるからだ。もちろん、仕事は組織的に行わなくてはいけないことも多いし、管理の問題もあるから多様な働き方をすべて許容するわけにはいかないだろう。ただし、そうであっても極力受け入れることを検討する組織のスタンスが大切だと考えるのである。
最近はワーク・ライフ・バランスという言葉を頻繁に耳にするようになった。人口の減少や高齢化が進展する中で、わが国が経済成長を確保していくためには、女性の就労をもっと増やし、さらに子育てや介護などで時間の制約のある人たちにも働く機会を提供する必要がある。同時にそのような環境づくりを行っていかなくては、少子化に歯止めを掛けることができない。少子化は人口減少を加速化し、国富を乏しくする。そんな事情からだろう、わが国においては内閣府が旗振り役になってワーク・ライフ・バランス憲章なるものが制定されている。
確かに、出産や子育てなどの理由で働くことに対して制約条件を持つ人たちに対し、企業は適切な配慮を行う必要があることは前述のとおりだ。また、ここ数年の流行語にもなったブラック企業と呼ばれるような、限度を超えた労働を強いるような企業に対しても、ワーク・ライフ・バランスは重要なアラートとなりえるだろ。
いっぽうで、ワーク・ライフ・バランスという言葉は、多くの人に曲解されやすいのではないかという気もするのである。というのは、その言葉だけを聞くとライフとワークが対立する概念のように思えてしまうのではないかと感じるのだ。つまり、「ワークが増えれば、ライフを棄損するよね」みたいな印象を持たれることだ。
ワーク(仕事)は生活の糧を得るためだけに行うものではない。極端な例かもしれないが、錦織選手は賞金を得ることが目的でプロテニスプレーヤーをやっているわけではない。おそらく彼は、ライフとワークが100%に近いぐらい重なり合っているのだろう。そんな彼には、ライフ・ワーク・バランスなんて言葉は意味不明であるに違いない。
わたしたちは、ワークを通して生活の糧を得ているのだが、同時に仕事はそれ自体に学びや喜びが同居しているという性質を持っている。ワークはそれぞれの人のライフを充実させるものでもあるのだ。そして、ライフとワークの重なり合うゾーンが多ければ多いほど幸福に近い状態である、というのが個人的な意見である。それは貴方だけだよ、と言われるかもしれないが、そんな気がしてならない。
ワーク・ライフ・バランスというメッセージを、多くの人にもっと上手に伝えるようにしてもらえると、社会はもっと良くなるように感じている。ちなみに内閣府のライフ・ワーク・バランス憲章では、ライフを「人生」ではなく「生活」としている。そうすると「生活」のための「仕事」という捉え方をする人がますます増えるように思う。
ワークの意義をもっと説いて欲しいものだ。
株式会社 鎌倉新書
代表取締役社長 清水 祐孝