2015/04/30
組織
日本において春は入学・就職のシーズン。私たちは、桜が咲く頃=入学・就職、というイメージを持っているが、ここで「日本において」とわざわざ書いたのは、それが世界標準とは異なっているからだ。もちろん、スタートの時期を一年の何時にしようが、その国が勝手に決めればいい話ではある。だけど、学問やビジネスのグローバル化が進展する現代社会においては、さまざまな不都合や不利益が生じている。
グローバルスタンダードに対応して秋入学に舵を切ろうとした東京大学は流石だったけれど、誰もついて来てくれないのではどうにもならない。結局、秋入学は棚上げになってしまった。あれだけグローバル化の必要性を唱えながら、この問題の重要性を理解しているのは、政界、官界、財界、学界のどこを見回してもまだまだ少ないということなのか。おっと、これは本題ではない、話を戻そう。
この春、わたしたちの会社にも大学を卒業したばかりの新しい社員が仲間に加わってくれた。新卒を採用し始めてまだ数年しか経っていないが、それまでやっていなかったこの活動を通して、人材について深く考える機会が得られたことは収穫だった。それまで、私たちはもっぱら中途採用、つまり必要や不足が生じた業務に対してその経験者をどこからか探してくる、という方法を取っていた。中途採用の場合、採用の基準は何々ができる(スキル)、何々をやってきた(経験)、というのが一般的である。実際に私たちもそのような基準で、採用・不採用を決めていた。
しかし、新卒採用においてはその方法をとることはできない。仕事に使えるスキルや経験がないから当然だ。でも、何らかの判断基準のもとに見極めをしなくてはならない。考えられるものと言えば、学歴、成績、課外活動、アルバイトやボランティアの経験、そしてこれらのポイントを含んだ面接での評価、あたりであろうか。実際に、私たちの会社で多く取られていた判断基準は、何人かの面接担当者の「良さそうだよね」という感覚の一致であった。
人事がしっかりしているところであれば、適切な採用基準があるのかも知れないが、私たちのような中小の会社では、きっちりと確立されているわけではない。それはこれからの課題ではあるが、採用経験の蓄積によってある程度、明確な基準を定められるようになるだろうと考えている。結局、今日において企業が勝ち抜く、生き残るためには何らかの差異が必要であり、わたしたちの会社では、その差異を生み出すのはひとえに人間である。したがって、まずは採用で差異を生み出さなくてはならないと痛感するわけである。
新卒社員と中途社員は、それぞれ企業にとってのメリット、デメリットがある。新卒の場合は、プロ野球のドラフト採用を見ていても分かるとおり、そもそも当たり外れが大きいわけだからたいへんな面もある。しかしながら相手は無垢の人材であり、適性を見ながら業務を変えていくことも可能だし、中にはとても優秀な人材が混じっていることもあるわけだから利点もたくさんある。いっぽうの中途社員はすでにスキルや経験を有しているという点でとても効率的であるのだが、経験者が新たな業務にマッチしないと行き場を失うなど、デメリットもある。結局、両者をうまく使い分けることで、人材の採用の最適化を目指すことになるだろう。
さて、新卒社員が定期的に入ってくることで得られた最大の収穫は、企業が人材の育成を強烈に意識することができることだ。これは、中途採用しかしていなかった時にはあまり意識しなかったことである。親が子供に立派に成長して欲しいと思うことが、自らの成長を生むように、若い社員に成長して欲しいと考え、行動することが上司や、同僚の成長を促し、組織の成長を促す。(新卒に限らず)人の成長に意識を向けられるようになること、これこそが新卒採用の最大の効果なのだと思っている。
蛇足だが、この4月は日経新聞にニトリの似鳥昭雄社長の「私の履歴書」が掲載されていて、これが実にリアルで面白い。読むと、どんな人でも適切な環境(それはとても辛く厳しく、チャレンジングなものであるけれど)が提供されれば、そこにはチャンスが生まれ、チャンスが成功を生む、という社会の真実を理解することができる。このような育成環境を社員に提供できれば最高だと思うが、それでは世間からはブラック企業とレッテルを貼られてしまうかも知れない。辛く厳しいから副産物としての成長があるのだが……。適切な落としどころを探ってみなくては。
株式会社 鎌倉新書
代表取締役社長 清水 祐孝