会長コラム“展望”

目先のこと、もっと先のこと

2017/05/01

社会

  この国では4月は新たな学校に通い始める、社会人となり会社に通い出すなどして、新しい生活がスタートする時期である。ちなみに、この国では、とわざわざ書いたのは4月からスタートするのは世界的にはあまり例がないからだ。


例えば、欧米や中国などの主要な国々では8月の後半から9月が新入学のシーズンとなっていて、これが世界標準に近いようだ。国境をまたいでグローバルに学びたいと考える世界のエリートにとってみれば、入学や卒業の時期がスタンダードとずれていると無駄な時間が生じ、何かと都合が悪いのだ。また大学等の教育機関にとっても優秀な学生を確保するうえで不利になることから、これを世界標準である秋に合わせようという議論が数年前にあった。


わたしなども、海外の教育機関で学んでいる子供がいたので、「それは当然の流れだろうな」と議論の行方を追っていたが、ある日突然このプランは立ち消えとなってしまった。この国では新生活の始まりと、桜が咲きほころぶイメージとが強烈に結びついていて、これを変えることが難しかったのだろうか? 将来を考えて変化を起こそうという長期的な視点は、目先しか見ずに現状維持を求める短期的な思考の餌食になるのは世の常ではあるが、「あ~あ、またか」といった感じの残念なできごとに思えた。


確かに大学の入学時期を変えることは、それ以前の教育課程にも、あるいはその後の企業や役所等に勤めるといったところにも影響を及ぼすわけだから、それなりに骨の折れる作業ではある。しかし、経済のグローバル化が進展する中で、国家の競争力は優秀な人材を引き付け、それを活用する力量にかかっているわけだから、人材のグローバル化は避けて通れない道だったはずだ。長期的な視点を持つ人たちが力を持たないと、組織というものは必ず衰退してしまうことは歴史が証明済みだ。オーナー企業の強みが指摘されることが良くあるが、意思決定の迅速さだけではなく、このような長期的な視点も重要な要素であるのだろう。


とまあ偉そうなことを書いたが、この国のスタートが春である以上その仕組みに抗えないというわけで、わたしたちの会社にもこの4月、新しい仲間が加わってくれた。

さて、その中にはこの3月に知的障害者のための教育施設を卒業した2名のメンバーがいる。この春から障害者雇用を始めたからだ。障害者を雇用することについては、障害者雇用促進法で定められたルールがある。ちなみに民間企業における法定雇用率は2.0%であり、100名以上の労働者がいる企業がこの雇用率を満たさないと障害者雇用納付金が徴収されることになっている。


わたしたちの会社は小さな所帯であるから、納付金を徴収されることはない。仮に将来、それが徴収される規模になったとしても一人当たり月額5万円という金額は、雇用するコスト(たとえば障害者を雇用すると、彼らを指導するための従業員の雇用も併せて必要となってくる)に比較すれば圧倒的に安価である。ということを考えれば、多くの会社は中途半端に障害者雇用をするよりも、納付金を納めるという方法を選択するだろう。確かに、それは一見リーズナブル、しかし本当にそうだろうか。障害者雇用を始めるにあたって、わたしは自分なりにその意味や効果について考えてみた。思いついたことを並べてみるとこんなことだ。

・まずもって、企業は差異を継続的に生み出すことが求められているわけだから、多くの企業と同じような考えに陥ってはいけない。
・障害者雇用がコストだという発想が間違っているのではないか、彼らが収益を生み出す方法は必ずあるはずだ。
・企業は社会があってこそ存在を許されるものであり、その活動を通して社会に貢献すべき存在であるから、障害者雇用もそのひとつであるはずだ。
・社会が豊かになり、消費も成熟化している。消費者は企業の商品やサービスだけではなく、それらに込められた理念やメッセージを合わせて消費する時代である。したがってそうした企業姿勢が共感につながるのではないか。
・企業にとって多様性(ダイバーシティ)が大切な時代となっている中で、障害者雇用も多様性を受け入れ、理解する風土づくりにきっと役立つだろう。


とまあ、わたしは(残念なことに?)単純な善意の人間ではない。障害者雇用が生み出すさまざまな効果を期待している商人だということがバレてしまった。でも、このように新たな取り組みを通してこのようなことを一生懸命考えることが、最大の効果であり最も重要なことだと思っている。他人と同じ発想に陥らない、長期的な視点で物事を考える。これをできるだけ多くの社員がやってくれるようになれば、会社も個人ももっと幸せになれるはずだ。


株式会社 鎌倉新書
代表取締役社長 清水 祐孝