2025/01/20
社会
周知のとおり、米国の大統領選挙でトランプ氏が勝ってしまった。そして就任の日が近づいてきた。
「勝ってしまった」なんて言うのは失礼かもしれないが、たくさんの裁判を抱え、中には有罪の評決が下ったものもある。掲げた政策の多くについては、その実現性は深くは検討されていないように思える。例えばそれらの中にはインフレになるリスクが高いものもあれば、その逆もあったりして、一貫した主義主張は感じられない。選挙に勝つ、得票につながるという観点を最優先して決められているものばかりに思えてしまう。さらに威圧的な態度も一般的には好感を持たれるようなものではない。それでも勝ってしまうのは、国民の間にバイデン政権に対する不満がよほど広がっていたということなのだろう。私自身は米国民でもないし、双方に一長一短があるのだろうなと思うぐらいで、どちらが次期大統領にふさわしいかなんてわからない。でも今回、大国である米国のトップが誰になるかで、投票権を持たない世界の人びとの人生にも多大な影響が及ぼされるであろうことに初めて気づかされた。これはトランプ氏の功績といえるだろう。世界はかつてないほどに相互依存の関係を深めているのだ。
その職には就いていないにも拘らず、当選後の世界はすでに戦々恐々の様相だ。その理由は「Make America Great Again!」なるメッセージのもとに打ち出されている、米国至上のさまざまな政策にある。その最たる例が「中国に追加で10%、メキシコ・カナダには25%」といった関税の引き上げである。当選後すぐに、トランプ氏はSNSにこんな投稿を行い、物議をかもしている。それだけではない、その矛先は同盟国とされる日本や欧州の国々にも向けられており、実行された場合の影響の大きさがニュースでも幾度となく報じられている。これらの関税政策に象徴されるように、トランプ氏は自由貿易によって相互のメリットを生み出すという発想は持たず、米国内の産業を保護、優先することで短期的な自らの利得のみを追求しようとする。
関税だけではない、地球温暖化対策に関する国際的な枠組みである「パリ協定」からの再離脱をやりそうだし、電気自動車(EV)に対する税額控除の廃止や、石炭や石油などの化石燃料業界への支援を打ち出したりしている。世界がある程度協調して地球環境の問題に対応しようとするなかで、トランプ氏はこうした取り組みに背を向ける。環境対策にかかるコストを嫌い、自国や国内産業を優先することに重きを置く。私たちは同じ地球という星で生まれ、同じ空気や水を得て生きている。そこには共益費が必要となるなんて発想は皆無のようだ。
これまで世界で類を見なかった発想を持つ米国の次期トップに対して、世界はその影響を懸命に推し量ろうとする。関税でGDPの成長率がどれだけマイナスになるか、といったシンクタンクの推計がニュースを踊る。でも、世界が知らなくてはならない重要なテーマはそんな具体的な政策から打ち出される数的な影響ではない。重要なのは、世界一の超大国である米国がこれまで保有してきた価値観を放棄しているということだ。トランプ氏から打ち出される「協調ではなく対立」「長期ではなく短期」という政策を推し進めれば、世界は不幸な歴史の二の舞に陥る危険性をはらむ。協調してくれない米国に対して、協調を打ち出す相手国はいない。あるのは妥協か服従、もしくは対立である。妥協や服従は不満を生み、それはくすぶり続ける。世界は一枚岩にはなっておらず、民主主義国家はさまざまな問題に協調して対処していかなくてはならない。無邪気なのか故意なのか、そういった視点がまったく抜け落ちている点が、未来への見通しを暗くする。そして「長期ではなく短期」ってことは、未来への責任の放棄ということ。今日の利益を考えれば、化石燃料を燃やし続けることは合理的かもしれない。しかしそのことによって不利益をこうむるのは、地球の未来を背負って生きる人たちである。そこには適切な落としどころがあってしかるべきだが、トランプ氏はそんなことは考慮しない。
収入や税負担とは異なり、投票権は平等である。格差が広がる社会の中で不満を持つマジョリティから熱狂的な支持を得るには、明確な敵を設定して、これをやっつけることでマジョリティが幸せになるぞという幻想を抱かせることだ(これはハリウッド映画と同じ構造である)。格差の原因は実際は複雑だが、それときちんと説明したのでは分かりにくいし何より熱狂は生まれない。敵は中国、メキシコ、カナダ、あるいは日本製鉄だ!と単純化、具体化させることが重要なのだ。こうして熱狂を生み出すことに成功したトランプ氏は再度大国アメリカのトップに就く権利を得た。ある意味では社会の構造を正しく理解し、それを利用して適切な手を打ったわけだ。その意味でトランプ氏は優れた戦略家だと考えることができる。ちなみに優れた戦略家は、関税の引き上げが国内の経済に打撃を与えると分かれば、それをすぐに引っ込めることもできる。またビジネスマンとしての修羅場も数多く経験したのだろう、交渉術にも長けていることは明らかである。というわけでトランプ氏のこうした能力をもってすれば在任中、アメリカの経済的な繁栄はさらに強固なものになるのかも知れない。心配なことは、アメリカの経済的な繁栄が得られたとしても、格差の是正につながることはないであろうこと。つまり熱狂してトランプ氏を支持した人たちは実際には置いてきぼりを食らってしまうことだ。資本主義社会において経済的な繁栄は、それ自体が格差の拡大を生み出すわけで、この構造の悲哀を味わうことになるマジョリティの人たちは幻想が幻想にしかすぎないことにいつか気づかされるのだろう。
最後にもう一つ心配なことがある。おそらくそれは日本だけではなく、世界の多くで私たちは「正直者が馬鹿を見る」社会はあってはならないと教えられてきたように思う。現実はともかくとして、そうした理想や希望を持ち続けられる社会であるべきだと多くの人々は信じているはずだ。しかし、米国のリーダーの言動、行動はそのテーゼを真っ向から否定しているように思える。トランプ氏の就任が近づく中で世界が感じている「なんだか憂鬱な感じ」はこのような点にもあるのだろう。
株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝