会長コラム“展望”

子どもたちへのメッセージ

2011/08/01

個人的価値観

私には、16歳の娘と14歳の息子がいます。今回は彼らに向けたメッセージを記しておきたいと思います。「誌面を私的なことに利用するな」 と読者の皆さまには怒られそうですが、本稿はもともとそのようなことばかり書いてきたわけでもありますし、欲を言えば、私の子供たちだけではなく、日本の 若い人々へ伝えたいことでもあります。また読者の中にはこれからの日本を担うお子さまをお持ちの方も多くいらっしゃると思います。そのような趣旨ですので、お許しいただきたいと思います。


優紀・啓太郎へ

今日は少し難しい話を聞いてください。私たちが住んでいる、この日本という国のことです。パパの生きている時代と、パパのお父さん、つまり君たちのおじいちゃんの時代とを比較して話をしたいと思います。

おじいちゃんは、日本の高度経済成長がスタートした昭和29年(1954)に社会人になりました。終戦後の混乱期から抜け出し、経済的にどんどん豊かになりつつあった時代です。このように経済成長が続いていましたから、おじいちゃん(もちろんおじいちゃんに限らずほとんどの給与所得者)の賃金も年々大きく増えました。賃金には、役職や資格が上がることによる昇給と、ベースアップと呼ばれる賃金表の書き換えがありますが、この双方が毎年大きく改定されたのです。また、年功序列という勤続年数や年齢に応じて役職や賃金を上昇させる賃金制度や、終身雇用といって、一度入社したら定年まで長期にわたって企業が雇用し続けるシステムも多くの企業で機能していましたから、おじいちゃんの世代の人たちは今年より来年、来年より再来年がきっと良くなるという考えの下で安心 して働いてこられたのだと思います。そんな時代でしたから、おばあちゃんはパート程度の仕事しかしなくてもパパたち3人の子どもを養育しながら、なんとかやってこられたのです。また、当時は銀行からお金を借りて家を購入しても、住宅価格の伸びが負担する金利以上に大きかったので、このことがその時代の人た ちの資産形成に大きな役割を果たしたことも幸いしました。そして、その世代の多くの人たちは今日に至っても、約束された年金を受け取りながらのんびり過ごしているのです。

さて、パパの時代はというと、社会人になったのが昭和61年(1986)、バブル経済と呼ばれる好景気の時代がちょうどスタートするころでした。多くの企業は新卒者の採用に血眼になっていて、今とは異なり就職するのもとても簡単な時代でした。当時は(今もあるのかもしれませんが)就職解禁日(新卒者を採用する際に協定があり、この日までは企業は内定を出してはいけなかった)というものがあって、その日に他社の面接に行かないように、旅行に連れて行き、学生を拘束するようなことさえ当たり前だったのです。

その後の数年間というもの日本は好景気に沸き、一方で不動産や株式などの資産価格も急激な上昇を見せました。当時の多くの日本人は自信に満ち満ちていて、自分たちが世界で最も豊かで優秀な国民だと思っていたのだと思います。しかし、そんな時代は長くは続きませんでした。1990年代の初頭、バブル経済は終焉を迎えることになります。そこから日本は20年にも及ぶ長期低迷の時代に突入し、いまだに脱出できずにいるのです。年金もパパの場合これまで25年以上掛けてきましたが、これがきちんと戻される確率はおそらくゼロに近いでしょう。

例えば、日本の家計最終消費支出は1990年を100とすると、20年後の2009年には118へ増えてはいますが、この間アメリカでは261に、イギリスでは256にもなっています。また家計の総資産に至っては、同様の対比で日本が88に減っているのに対し、アメリカは280に、イギリスは何と328にもなっています。手元には欧米先進国のデータしかありませんが、この20年を考えたとき、中国やインドをはじめとした新興諸国にお いても同様あるいはそれ以上の成長を見せているであろうことは、議論の余地はないでしょう。
つまりこの20年間、日本は世界で唯一と言って良いほどダントツの衰退国家なのです。

サラリーマンの春闘から、定期昇給やベースアップという言葉はほとんど聞かれなくなりました。年収300万円で入社した22歳の新卒者が、10年経っても400万円に満たないなんてケースも当たり前のようになってしまいました。これでは、妻と子どもを養っていくことはできません。従って、子どもが欲しければ実質的に共働きで家計を賄っていかなくてはならないのです。しかし、出産や育児を行いながら、仕事を続けるような 社会システムは日本の場合、欧米とは異なって全く不十分です。そして仮に、妻が出産や育児のために企業を辞めると、雇用システムの硬直性から、その後は働きたくても正規雇用で職を得られる可能性はきわめて低くなります。だったら子どもを生むのは諦めようと考えるのはごく自然なことだと思います。

こんな状況を放置しながら、子ども手当などと言って子供一人につき1万3000円をばらまいて何の意味があるのでしょうか?それで出生率が上昇するわけなどありません。1万3000円貰えるから安心して子どもを生み育てられるのではありません。夫の収入が安定的に増えていくだろうという見通しが付くか、あるいは仕事を辞めなくても子育てができる環境が整うか、さもなければ、子育てが一段落したら能力に見合った雇用体系で仕事に復帰できるような労働環境があるかが肝心 なのです。

20年の停滞で、仮に日本のこれまでのシステムが機能しなくなったということであるならば、本来ならばこれを破壊し、新たなシステムを再構築しなくてはなりません。しかし、これを担うべき政治が、少し前まではドラ息子たちの世襲、これを脱したかと思えば今度は大衆迎合型の衆愚政治とくれば、当面は絶望感から脱することはできません。どうも、豊かさに慣れきってしまった日本人は成長への意思と意欲を完全に手放してしまった、そのように思えてならないのです。


さて、だんだん愚痴っぽくなってきましたし、論点もずれてきたようですので、本題に戻りま しょう。君たちのおじいちゃんの時代は、日本という国家や企業のシステムに盲目的に従っていれば、個人もそれなりに豊かになれたし、将来を憂う必要もありませんでした。国家や企業の幸福が個人のそれとパラレルだったわけです。パパの時代はというと、そのようなシステムに乗っていればオーケーという時代に社 会人生活のスタートを切ったけれど、その後見事にはしごを外されてしまったという世代です。パパたちの世代が不幸だったのは、そのことに気付いた時に、多くの同世代の人は人生のかじを切れない年齢になっていたことです。家族を抱え、多くの教育費と住宅ローンを抱えながらの人生の方向転換は難しいのです。

国家や企業が個人を守ってくれたおじいちゃんの時代、途中ではしごを外されたパパの時代、そして君たちの時代は、最初から国家や企業は君たちを守ってくれな いことは明々白々です。偏差値の高い大学に入って、有名な企業に入社すれば幸せな人生が待っている、などといまだに思っている人も存在するようですが、そんなことは全くないのです。だから、自分の身は自らが守るのです。

日本には、危機的な財政状況や社会保障制度、時代にそぐわなくなってし まった税制、硬直的な雇用システム、抜け出せないしがらみ、等々が温存されたままになっています。そんな中で、国家や企業と共倒れになるのは避けて欲しいというのが親としての純粋な願いです。君たちが自らの身を守るためにすべきことは、偏差値の高い国内の大学に入って学生生活をエンジョイすることではありません。世界に目を向け、そこでグローバルなコミュニケーション能力を身に付けるとともに、日本とは異なる価値観やシステム、ライフスタイルを学び、自らが武装をすることだと思います。

国家や企業に依存しない自立した個人になることです。この国を愛しながらも、そのシステムには依存せず、活動の場をグロー バルに求めて欲しいのです。そして世界に目を向ける自立した若者が増えてくれば、日本は遠くない将来に復活に向けた歩みを進めることができるようになる、 そのように思うのです。

学校や家庭で渦巻く既存の価値観に異を唱え、明日からでも新たなスタートを勇気を持って踏み出して欲しい、そのように切に願っています。

 父より


株式会社鎌倉新書
代表取締役社長 清水祐孝